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記事2020.08.18

「新型コロナウイルス(COVID-19)」が感染拡大する社会を生きるために(新原道信)

「新型コロナウイルス(COVID-19)」が感染拡大する社会を生きるために       

写真:特別刑務所と隔離病棟がおかれたイタリア・サルデーニャ州のアジナーラ島 Cala d'Olivaの入り江で草を食む野生のロバ(2018年8月3日、筆者撮影))

 

 「新聞や雑誌の流暢な言葉でなくわが言葉で子供たちにしらせたいと思い日記をしるす」

[ハイビジョンスペシャル「最後の言葉・作家・重松清が見つめた戦争」2003年12月7日BS1より]

 

……記録は今日の足跡を記すことを最終目的とする.フィリピン,インドネシア,マラッカで,エビ,ナマコ,ヤシの実の取得と売り買いの現場を歩き,その日の見聞をその日のうちに日記に書くことの積み重ねから,眼のつけどころが青年時代とかわり,文体も目線にあわせてかわっていく.すでに初老の域に入って,食材を自分で選び,自分で夕食を調理する,その残りの時間に日記を書く.見聞を記録するのは,気力であり,気力は,見聞に洞察を加える.アキューメン(acumen)という言葉を私は思い出し,この言葉をこれまでに自分が使ったことがないのに気づいた.……とにかく鶴見良行は,フィールドノートに,毎日の見聞を統括するアキューメンの働きを見せている.それは,彼の想像力の中でおこなわれた,米国に支配される日本から,アジアの日本へという舵の切り皆えだった。*acumen: keep perception, Oxford Little Dictionary.鶴見俊輔「言葉にあらわれる洞察」『図書』第690号(2006年、p.41)

 

  世界中で、ものすごい量の「コロナ」についてのニュースが流れている。情報はいつでも検索できるなかで、自分の考えを遺す意味は何か?、自分の主観的で狭い考えなど意味がないのでは?・・・・・・自分の力ではどうにもならないほどの不条理な状況がやって来たとき、いつも以上に、よくみてよくきき、すべてひっくるめて、つつみかくさず、自分の理解・状態を“描き遺す”ことが、未来の自分への贈り物となる(卒論もその意味を持つ)。戦争に直面して日記をつけるようになった後に戦死した父親のように。戦争の後、アジアをあるくことに我が身を投じた鶴見良行のように。

 

 中央大学のキャンパスに集まることもできなくなった2020年4月17日、ゼミ生のひとたちに、下記の文章を送りました。「問題」がすぐに「解決」しないとしても、その意味を考え、感じたことを“描き遺しつつ”日々を生きていくことで道が開けるはずです。そう願いつつ。

 

1.はじめに――“見知らぬ明日”を生きる

 

 いまみなさんは、たいへんな不安やストレス、疲労感のなかで暮らしていることと思います。「突然、出現したウイルス」への特効薬(ワクチン)もなく、いつ「収束(解決)」するのかもわからず、見えない相手に脅える日々が続いています。いままではたいして気にもしなかった「ちょっとした不具合・不調(piccoli mali, minor ailment)」(A.メルッチ)であっても、「突然、重症化するかもしれない」「目の前にいる他人のみならず、家族や友人が、実は『感染者』かもしれない」「ドアノブや手すり、つり革、スーパーのお総菜や紙幣、ありとあらゆるヒトやモノが危険だ」――そんな感覚に襲われ、不信のなか、いままであまり見なかったニュースをチェックしています。そこでは、デマも飛び交い、「コロナ差別」も増大し、家庭内でのストレスやケンカ、虐待が増大しています。

 ついさきほどまで、私たちは、インターネットをはじめとした各種のメディアを通じて実に容易に、この世界を「知る」ことが可能だと思っていました。たとえば、あなたは、南太平洋に浮かぶ「常春のリゾート」で暮らす人々の映像、ヨーロッパの美しい都市の街並みや「すてきなお店」、あるいは、「アジアやアフリカで」親や夫を殺された裸足の女性や子供達の映像などを、暖かい部屋のソファでポテトチップスを食べながら見ることが出来ていました。今回の「コロナウイルス」も、最初は、「中国の武漢」からの映像でした。そのうち、ヨーロッパやアメリカ、そしてクルーズ船の映像などに変わり、いつの間にか、「休校」「出入禁止」「医療崩壊」「緊急事態宣言」「大恐慌以来の景気後退」と変わってきています。すぐそこまで来ているかもしれないという不安の一方で、なかなか実感がわいてこない、「いろいろ考えなきゃ」と思いつつも、ものすごい量のニュースやメール、SNSへの対応だけで一日が過ぎていってしまいます。

 紀元前429年も古代ギリシア・アテナイの伝染病から、14世紀ヨーロッパの「黒死病」、1492年以降の「新大陸」における先住民の大量死と文明の崩壊、19世紀前半ヨーロッパの都市で露呈した「社会の病」、20世紀前半に「スペイン風邪」と呼ばれた「パンデミック」等々――これまでの歴史においても、大きな感染症は、震災や津波など同じく、社会を大きく変えてきました。歴史から学ぶなら、おそらく、ついさきほどまで享受してきた日常がもどるはことなく、私たちは、“見知らぬ明日(unfathomed future)”を生きていくことになるのかもしれません。

 そしていま、2002年11月の中国SARS、2012年9月中東のMERS(Middle East respiratory syndrome)などの「重症急性呼吸器症候群=SARS(Severe acute respiratory syndrome)」、2009年新型インフルエンザウイルスの感染拡大など、歴史のなかでこれまで見られなかったほどの短い間隔で感染症が発生し、地球規模での感染拡大がきわめて短期間に起こっています。感染症の拡大は、近現代の人間の活動がもたらした「異常気象」、その背後にある生態系の無秩序な破壊、野生動物の生物圏への「侵略」と無縁ではありません。疫学的病だけでなく、悪性腫瘍や身心の病、他者への不信や無関心、差別・暴力などの「社会の病」ともむすびついています。この点について、イタリアの社会学者メルッチ(1943-2001)は、死の1年前、このような言葉を遺しました。

 

いまやカタストロフは、単に自然の問題ではない。単に核の問題でもなく、人間という種そのものが直面する、生体そして関係そのもののカタストロフとなっている。いわゆる「先進社会」のより先端部分で暮らすひとたちの半分が「悪性新生物(腫瘍)」という異物によって死ぬ。さらにその半分は、心疾患で死ぬ。これはまさに、現代社会のシステムがそこに暮らすほとんど四分の三の人々の生体に社会的な病をもたらすという「劇的な収支決算」となっている。この個々の生体のカタストロフという面から現代社会をとらえなおさねばならないと私は確信している。まだ多くのひとによっては語られていないことなのかもしれないが、この“生体的関係的カタストロフ”は、まさにより深く根本的なものだ。

 

 このような、あまり見たくもない、考えたくもない、しかし、眼前に迫ってきた、おそらく根絶・排除することは出来ない問題との辛抱強いつきあい方、様々な「カタストロフ」が繰り返し多発する社会を生きていくためにはどうしたらよいのでしょうか。

 

2.フィールドワークに何ができるか?

 

 私が専門として、学生のみなさんに教えてきたのは、都市や地域の社会学とフィールドワークです。この間、いろいろなひとたちから、「フィールドワーク(野外調査)が出来なくなってたいへんですね」と言われました。しかし、実は、「外出できない」ことは、フィールドワークにとってそれほど致命的ではありません。むしろ、いま起こっている“見知らぬ明日”の継続のなかでこそ、力を発揮するようなフィールドワークがあると、私は思っています。

 たしかに「フィールドワーク」という言葉は、「フィールド(野外)」での調査(ワーク)という意味がありますが、「フィールドワーカー(フィールドワークするひと)」という言葉にはもっと広く深い意味があります。「フィールドワーク」は、野外調査をしていないとき、日々の暮らしを「フィールド」として、自覚的におこなうべき「デイリーワーク(日々の“不断・普段の営み”)」が含まれています。むしろ「机の前で」の「勉強の時間」(「デスクワーク」)以外に、朝起きてニュースを見ているとき、新聞の記事を読んでいるとき、犬の散歩、電車のなか、食事中、風呂やトイレのなかで、つまり、日常生活のあらゆる瞬間、様々な場面で、臨機応変に、“臨場・臨床の場”で、“生身の現実”を観察し、コメントし(ツッコミ、疑問を持ち、つぶやき)、理解しようとすることです。

 いま私たちが直面している日常は、「非日常」的なものです。しかし、この状況が、かなり長く続いていく、さらには、繰り返しまたやっていくことになるかもしれません。この不確定性や流動性があたりまえとなった時代を生きるためには、「予測困難なパターンの未来(a less predictable pattern for the future)/決まり切ったライフ・サイクルからはずれた生活を営む可能性(more possibility of organizing life with a less tidy life-cycle)」(J.ガルトゥング)を意識し、身体化する必要がありそうです。「感染拡大」のなかで、アスリートのように、食事・睡眠・筋トレ・ストレスコントロール/生活のセルフ・プロデュース、自分が属する組織や集団の、コミュニティや地域社会のそれぞれの場において、“かたちを変えつつうごいていき(changing form)”、「場」を創り続けるしかありません。

 たしかにも先行き不安でたいへんな状況ですが、「フィールドワーク」では、突然の相手の状況で、予定が変わったり、現地に行けなくなったり、帰れなくなったり、いろいろ大切なものを失ったりと様々なことを体験します。その結果、何かを「うまくやる」力というよりは、「うまくいかないときでもなにかは出来る」力を養うことができます。そこでいま、私は、みなさんに、2020年度の授業を始めるにあたって、〈フィールドに出られないときのフィールドワーク〉のための【課題】を提案したいと思います。

 

3.フィールドに出られないときの「虫の目/鳥の目」のフィールドワーク

 

 現実のフィールドに出られるときでも出られないときでも、基本となるのは、「虫の目」と「鳥の目」で現実を理解しようとし続けることです。 

 「虫の目」とは、できるだけ微細に、細やかに、小さな現実を見て、耳をすまし、そこで起こっている局所的な現実について、フィールドノーツとして“描き遺していく”という作業です。フィールドワークは、最初「野良仕事」と訳されていました。フィールドで日誌を書くという作業は、まさに「野良仕事」で、今回のみなさんの「フィールド」は自分の家とその周辺ということになるだけのことです。つまりは、「フィールドのなかで書くこと(writing in the field, writing while committed)」です。

 「鳥の目」とは、“大きくつかむ”ことを試みるということです。 自分が“居合わせる”ことが出来た現実は小さな局所的なものではありますが、確かなものであり、情報の濁流のなかで自分をつなぎとめる足場となります。この小さな現実が、より大きな文脈、社会全体や歴史のなかでどんな意味をもっているのだろうと、自分の力で理解しようとすることです。つまりは、小さな現実の「背後に横たわる大きなプロセスや縦横のネットワークを分析し、自分がおこなったケース・スタディに意味づけをすること」(M.モリス)です。

  この「虫の目」「鳥の目」を基本として、当面の、そして少なくとも前期全体の課題を以下に提案したいと思います。

 

3-①.フィールドに出られないときの「虫の目」のフィールドワーク――“大量で詳細な記述法”による日誌の作成

 

 私が担当する授業では、自分は「デイリーワーク」として、自分の身の回りや世界の“端/果て”で起こっていることを、どう理解したのかを書き/描きのこす(writing down)、フィールドのなかで書く(writing in the field, writing while committed)という、“大量で詳細な記述法(methods of acumen, keeping perception/keeping memories)”を体験学習してもらっています。ぜひいま起こっている社会現象に対して、社会や自分がどのようなうごきを顕在化させ、そこにはいかなる意味が潜在しているのかを“描き遺す”ことをおすすめします。

 

短期的課題:「日誌(フィールドノーツ)」を作成する

 

日誌作成にあたっての解説:

①観察法はフィールドワークの方法のひとつです。観察法によって、いま私たちが直面している「コロナウイルス」によって試されている現代社会、日本社会、自分、周囲のひとびと、様々なレベルのコミュニティ、自分が属している組織、報道、言論、等々を観察し、後から整理・分析するための基礎データを、現在進行形で蓄積してください。

②フィールドワークは、実際の野外調査や観察法のみならず、インタビューや複数名での談話なども含めた複合的方法であり、ドキュメントや数量的データも活用します。インターネットだけでなく、できるだけ多くの新聞・雑誌記事や報道番組なども見て、記録していってください。たとえば、私は、NHKと民放の複数のニュース番組、特集番組(NHKスペシャル、ETV特集、BSスペシャル、民放のドキュメンタリー等々)を録画し、見るようにしています。「3.11」のときもそうでしたし、実は、2009年の「新型インフルエンザ」のときもそうだったのですが、「コロナ問題」は、すでに足元に在ったのに見ないようにしてきた“生身の現実” を直視し、新たな社会を始めるべき分岐点となるでしょう。新たな社会を始めることとかかわって、ぜひ、様々なジャンルの作品にふれてください(たとえば小松左京『復活の日』、篠田節子『夏の災厄』、川端裕人『エピデミック』、映画『アウトブレイク』など)。 その他、ETV特集などの報道スペシャル番組を見るとよいです。

③数量的データを蓄積します:全体の趨勢(マクロ・トレンド)を把握するのに役立ちます。日々の変化を日誌のように蓄積していってください。私の場合は、日本と世界、そして住んだことのあるイタリア、サルデーニャ州、サッサリのデータを毎日確認しています。

④質的データを蓄積します:イタリア他の友人とWhatsApp(ヨーロッパ版のLINE)やメールで連絡をとりあい、おたがいの観察・解釈を交換しています。質的方法としては、日々の観察や生活で、感じたこと、考えたこと、理解したことを日誌(フィールドノーツ)のかたちで書き残します。

⑤以上のようなことをしつつ、野外を自由に移動できないときでも、“臨場・臨床的な在り方(ways of being involved in the crude reality)”で、他者そして“生身の現実(cruda realtà, crude reality)” “生身の社会(living society: city, community and region)”と向き合うことが出来ます。

 

3-②.フィールドに出られないときの「鳥の目」のフィールドワーク――自分なりの人間と社会の現在についての全景把握を文章化する

 

 みなさんがいま目にすることができる情報のなかには、この新たな事態(“見知らぬ明日”)に対してなんとか本気で考えようとしている言葉と、その場をしのぐため、これまでと同じ「処方箋(レシピ)」でもっともらしく話す言葉とが、入り混じっています。信頼すべき言葉、出会うべき言葉に出会うためには、他人まかせでなく、自分としても、いま起こっている社会現象を自分はどうとらえているか、人間と社会の現在を“大きくつかむ”ことを試みると、人の言葉の内実をつかめるようになります(これは、知の消費者から創り手に変わるという意味があります)。

 これまでの授業においても、私はみなさんに、〈私たちが、「景観」として見過ごしてしまっている「同時代」の“生身の現実”の“構造”と“汗や想い(情動)”を掬い取る〉という課題で文章を書いてもらってきました。

 そこでみなさんには、短期的課題の「日誌の作成」を何回かに分けて行っていただき、前期の授業の最後には、各自が、自分の言葉・自分の考えで、人間と社会の全景把握をする文章を作成してもらえればと思います(参考資料:ウイルスと人間/社会現象としてのウイルスを見てください)。自分の全景把握の文章は、これからみなさんが執筆する論文の序論となり得るものでもあります。

          

  当面お伝えしたかったことは以上です。今年度中、場合によっては来年度も、海外渡航はもちろん国内調査も実施困難である状況が続くことを想定して考え行動する必要があります。「景観」のようなものだと思っていた「現実」が、急にリアリティを持つ状況に対して、眼をこらし、耳をすまし、自らの日常性の構造に気付き、日常を “組み直す(ricomporre, recompose)”ことが、これからのもっとも大切な課題となります。どうぞよろしくお願いします。

2020年4月17日 新原道信拝

 

 

参考資料:ウイルスと人間/社会現象としてのウイルス

 

そのウイルスは、2020年2月11日、SARS-CoV-2(Severe acute respiratory syndrome coronavirus 2 の略称)と名付けられた(国際ウイルス分類委員会 (ICTV)による)。最初は、2020年の年明けに、中国湖北省武漢市で局地的に起こった「原因不明のウイルス性肺炎」の地域流行(endemic)として認知された。しかしこの「肺炎」は急速かつ広範囲の流行(epidemic )となり、各地で突発的な規模拡大(outbreak,overshoot)を引き起こし、かつてないスピードで地球規模の「パンデミック(pandemic )」となったことが、3月11日、WHOのテドロス事務局長によって表明された。

 

中国では、武漢は「封鎖」、国内のひとの移動は制限され、日本では、大型クルーズ船の乗客や中国からの入国者を「警戒」することで対応しようとした。しかし、中国からの「第一波」に加えて、ヨーロッパ他の世界各地からの「第二波」が、すでにこの地に侵入していた。

 

2020年2月26日のスポーツ・文化イベントの開催自粛要請に続いて、27日夕刻には、全国すべての小中高校と特別支援学校に対して、3月2日からの臨時休校を要請した。3月5日には、検疫への対応をめぐって、「積極果断」という言葉が首相から発せられ、入国拒否等の措置が決められた。「この1~2週間」での「問題の収束」をめざす首相の突然の「果断」は、ここまでの“選択的盲目(現実から目をそらす性向)”と表裏一体をなしている。

 

 「果断」とは外科医の勇気のことだ。一刀両断!但し痛い思いをするのは他人だ。

(長谷川如是閑『如是閑語』)

 

ヨーロッパ各国の首脳は、「これは戦争だ」「いまは非常事態だ」という言葉を発した。「特別な」状況下で個々人の権利が制限されるのは「あたりまえ」であるという言論が飛び交い、イタリア、スペイン、フランスなど、各国政府は、「都市封鎖」や「全国封鎖」を発令した。これにともない、航空機によるひとの移動も大幅に減少し、世界は変わった。

 

3月13日、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(2012年制定)に新型コロナウイルス感染症を追加した改正案が成立した。その一方で、「果断」の先の「緊急事態宣言」は、遅れに遅れて4月7日に「発出」された(「発令」という通常の用語でなく、この耳慣れない言葉が使われた)。「せめて、あと一週間早ければ」「このままでは医療崩壊が起こり、何十万の死者が見込まれる」といった臨床の現場からの悲鳴は届かず、「政治的判断」によって、「日銭」でなんとか日々の暮らしをしのいできた生活者、周辺的労働に従事する人々がより大きく翻弄され、もっとも感染のリスクが高い場所に放置された。

 

1986年4月26日の「チェルノブイリ」、2011年の「3.11」で放出された放射能、「たった一度の失錯/失策」の産物は、その後、ほとんど消失することなく地球と私たちの身体を汚染し続けている。これと同じく、人間がまだ免疫をもたないウイルスは、この惑星に残存し続け、繰り返し感染の「波」がやって来る。「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」のどこにいても、すべての人々、とりわけ社会的に弱い立場を生きざるを得なかった人々のもとに、「パンデミック」の「厄災」が押し寄せる。どんなに扉を閉め、「封鎖」しようとしても、完全に押しとどめることなど出来はしない。

 

最初は「対岸の火事」で始まり、その“他人事(not my cause, misfortune of someone else)” は、「中国からヨーロッパやアメリカに転移したが、日本は無事だ」と思った、あるいはそうあってほしいと願ったが、不条理な「厄災」は、ひたひたと、きわめて急速に、自分に迫ってきた。私たちは、“選択的盲目(現実から目をそらす性向)”、“故意の近視眼(intentional myopia, 意図的に目を閉ざし生身の現実に対して心に壁をつくる性向)”による場当たりの反応(reaction)、あるいは“没参加(dissociate/disengage oneself)”から“忘我・自失(raptus)”のなかで、臨場感を喪失したまま、佇みつつ、よどみつつ、右往左往し続けている。

 

特別なウイルスなのではない。実はすでにあった「想定外」に対する現代文明の脆弱さが、「コロナウイルス」によって試されているだけだ。人間も含めたすべての生物ともに、微細な構造体であるウイルスは存在し続けた。惑星の隅々まで開発の力が及んでいくなかで、ヒトやモノの移動、迅速かつ大量となるなかで、つまりは社会そのものの根本的なモビリティの変化によって、必然的に生起し勃発した出来事であった。

 

密集と移動が極大化したグローバル社会の帰結として、歴史上、体験したことのない速度での「パンデミック(語源的には、ギリシア語のpandemos 、つまりは、すべての[pan]、民衆:[ demos]が直面する事態)」が起こっている。仮想現実により、対面することを減じることに成功したグロ-バル社会は、密集して対面するヒトからヒトへの感染によって急速に拡散し、孤絶し閉塞する個々人が、インターネット上でかろうじて自らを「つなぎとめる」という何重にも皮肉な現象が起こっている。

 

惑星地球というひとつの「船(Spaceship Earth)」の内側で、あっという間にひとつの出来事の影響が伝播してしまう社会、「他人事」などない“惑星社会(planetary society)”を私たちは生きている。

 

いま私たちは、自らの社会がつくり出した“見知らぬ明日(unfathomed future)”を生きている。「チェルノブイリ」や「3.11」がそうであったように、「新型コロナウイルスによる疾患(COVID-19, Coronavirus disease 2019)」を「きっかけ(Trigger)」として、すでに在った“惑星社会の複合的問題(the multiple problems of the planetary society)”を顕在化させた。問題は「解決」という「型」に馴染むことのないジレンマ、アポリアとして、ずっと私たちにつきつけられていく。“見知らぬ明日”をこれからずっと生きていくことになる。

 

自分の/周囲の人間の感染を恐れ、人間としてあたりまえのように他者と接する暮らしを喪失しつつある。親しいひとに対面することも、ふれることも出来ない、この不条理な日常のなかで、何をするのか? いかにことに臨むのか? 

この“見かけ倒しの拙速社会(società fittizia e rapida, fictitious and rapid society)”において、誰かに「丸投げ」できず、逃げる場所もなく、「大丈夫」と言い聞かせても意味がないという事実になんとか向き合いつつ、どのように「答えなき問い」に応えることが出来るのか?

 

しかしながら、パンデミックは、すでにあった社会構造の脆弱さ、「闇」と「病み」、そのなかでのかすかな希望を顕在化させもするはずだ。

 

“見知らぬ明日”に対して「専門性」をもった知的認識としては「困難だ」「無理だ」という「状況・条件」下で、か弱い生身の人間として、ささやかな応答を試みる。解決困難な「パンデミック」、「封鎖」の不可能性、この惑星規模の社会で、疫病を「封鎖」しようとして内側から崩壊していった古代アテネやローマから現代へとつらなる諸文明を想起しつつ、いま現に、リアルに起こっている“生身の現実” を“感知/感応”し、応答することを試みたい。

 

2001年9月12日に、白血病で夭逝した社会学者メルッチは、こんな言葉を遺してくれた:

 

謙虚に、慎ましく、自分の弱さと向き合い、おずおずと、失意のなかで、臆病に、汚れつつ、貧相でも、平凡でも、普通の言葉で、ゆっくりとしたうごきのなかで、“臨場・臨床の智”を私たちの身体に染みこませていこう。そのためには、私たちの存在のすべて、個性のすべて、身体のすべてを賭けて、具体的な生身の相手とかかわりをつくるしかないのだよ。

いま「出会ってしまった」“生身の現実(crude reality)” から逃げ出すことも出来ず、かといって「問題解決」のあてもなく、その場に佇みつつ、それでも何らかの“責任/応答力(responsibility)”を発揮しようともがいている。そんな「ごくふつうの人間(ordinary simple people)」として、「亡命」や「離脱」はできない閉じられた惑星社会のなかで、プレーし続けるしかない。

 

何を? 小さなことをこの惑星社会の異なる場でやり続ける。

 

どのように? 立ち止まり、よく見て、耳を澄まし、現実にふれ、考えることでしか突破できないものがあると信じようとしつつ、“端/果て”から、“低きより(humility,humble,umiltà,humilisをもって、高みから裁くのでなく、地上から、廃墟から)”という在り方(ways of being)で身心をうごかす。

 

たとえば、カミュの『ペスト』やボッカチオの『デカメロン』などの文学作品から学ぶこと。たとえば、アメリカから発生し、何度かの感染の「波」がやって来るなかで、強毒化していった「スペイン風邪」と呼ばれた1918年から1920年の「パンデミック」のような歴史的事実から学ぶこと。たとえば、電車のつり革をさわった後に、消毒することなくパンを食べたりしないこと、パックに入った惣菜を買う場合は必ず表面を消毒するといった所作を身につけること。最悪の事態を想定し、Prepare for the worstの姿勢で日常を“組み直す(ricomporre/rimontare, recompose/reassemble)”こと、「小さなこと」ことから始めること。

 

2020年度のすべての授業は、このような問題意識に基づき行います。私たち誰にとっても、はじめてのことですので、協力しつつやっていきたいと思います。どうか、まず、自分の横にいる生身のひとたち、そして自分自身の身心の声を聴いてください。どこかにある「答え」を探すのでなく、いままで学んできた智を総動員して、「答えなき問い」に応えてくれることを願っています。 

                         

2020年4月12日 新原道信拝

 

 

この記事を書いた人
新原 道信
Michinobu Niihara

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