ブログ
それでもまだ、なにかできることはあるだろうか(新原道信)
2022年に『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』(ミネルヴァ書房)という本づくりを、若い著者たちとともにしました。そして、この本の姉妹本として、『人間と社会のうごきに出会う社会学的探求』(ミネルヴァ書房、2026年4月刊行)という本を準備しました。執筆者は、これまで中央社会学での学びをともにしたみなさんを中心に、こころある学者のみなさんにお力添えをいただきました。以下では、この本の「あとがき」としてわたしが書いた文章を再録させてください。いまわたしが、若いみなさんにもっとお伝えしたいことだからです。ここでの「本づくり」は、みなさんにとっての「卒論づくり」だと思います。どうぞよろしくお願いします。
それでもまだ、われわれは役に立つのだろうか。天才ではなく、皮肉屋でもなく、人間侮蔑者でなく、老獪な策士でなく、素直な・単純な・まっすぐな人間をわれわれは必要とするであろう。 (ボンヘッファー, 1988: 19)
これは、1942年のクリスマス、友人に託された「十年後」という文章のなかの言葉だ。この言葉を遺したドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは、1906年にヴロツワフ(現在はポーランド領)で生まれ、ナチスの時代を生き、1945年4月に処刑された。なぜか、今回の本づくりのなかで、大学に入ってすぐに出会ったこの言葉と、出会いなおした。
生きていくとは、ずっと考え続けていく言葉や情景とともに歩むことだと思う。大切なひとたちの“行き方/生き方/逝き方”を、わかりたいと思ってやってきた。出会っていたこと・ひと・言葉からの発見の旅はつづく。
本をつくるとは、「鶴の機織り」のようなところがある。「鶴の恩返し」という民話のように、買ってきた糸でなく、自分の羽毛で機を織り、恩返しをする。フィールドで出会ったひとたちへはもちろんだが、恩返しをしたい相手はさらにいる。自分がいま「ここに」ことを成り立たせてくれた背景のすべて、自分のルーツ、大切なもの・こと・ひと・言葉、これまでの探「求」/探「究」の道程(ルート)のすべて――出会ったすべてに恩返し/恩送りしていくことを本書はめざした。今回の本づくりでは、執筆者各自が、出産や育児、生老病死とかかわる人生の節目のなかで、言葉を紡いでくれた。編集者の本田康広さんは、粘り強く、各氏の原稿にていねいなコメントを送り続けてくれた。
私たちは、若いあなたがこの探「求」/探「究」のフィールドに入っていくときに、後から発見できるような「手がかり」を遺しておきたいと考えた。それが、先を“行き/生き/逝く”人間のつとめだろうと思うからだ。
あなたの「コーズ」はフィールドに埋まっている。あるいは、フィールドで出会い、出会いなおし、少しずつ、あるいは突然、その姿を現す。ずっと探「求」/探「究」していくことになる「テーマ(問い)」というのは、恩師・真下信一先生の言葉によれば、「コーズ(それによって生きることが出来るもの)」であるはずだ。あなたもきっと、「コーズ」に出会いなおし続けていくのだ。その旅のなかで、「遠く」と「近く」は混じり合い、交差していく。
「都市の空気は自由にする」という中世ドイツの言葉があるが、自分を「自由」にしたくて「異なる世界」を探「求」した。ヨーロッパで、アフリカで、南米で、日本で、「親たち、動物たち、小さな子どもたちが幸せならわたしも幸せです」と話すひとたちに出会った。その出会いに突きうごかされて、地域に、大学に、「都市の空気」を創ろうとした。南米やアジアからの移民・難民、中国大陸や朝鮮半島からの「引き揚げ者」の末裔の子どもたちに感情移入し、「異質性を含み混んだコミュニティ」を探「求」した。「他者」だと思っていたひとたちのことを少しでもわかろうとするなかで、自分の「足元」、「わたし」の生きる意味(コーズ)に気づいていった。「近く」のことに気づくには、自分の境界をこえて、「遠く」に「旅立つ」ことが必要だったのだ。
「ぼくの顔をお食べよ!」と言ったアンパンマンのように、若いひとにむけて本をつくりたい。自分の糸で機を織り、言葉を紡ぎ、手紙を小瓶に入れ、海に流すようにして、気持ちを伝える。小瓶が、海に流され浜辺に打ち上げられる。その手紙を読んでくれる見ず知らずのひとがいることへの願いをこめた。
「素直な・単純な・まっすぐな人間」(ボンヘッファー)とはなかなかいかないが、それでもいっしょに、汗をかき、智恵をしぼり、土を耕し、山を登り、新たな地平を切り開いていければとてもうれしい。本書が、あなたの身実(みずから身体をはって証立てる真実)の旅の友となりますことを。
2026年1月 探「求」/探「究」のルートで出会った大切なひと・こと・言葉たちへの感謝とともに 執筆者を代表して 新原道信
参考文献
D. ボンヘッファー,D. E. ベートゲ編, 村上伸訳(1988)「十年後――1943年に向かう年末に書いた報告」『ボンヘッファー獄中書簡集』新教出版社。
初出:新原道信「それでもまだ、なにかできることはあるだろうか」『中央社会学』第35号、中央大学社会学会、2026年、214-215頁
最新ブログ
アーカイブ
キーワード
- 福祉社会学
- 医療社会学
- 歴史社会学
- 臨床社会学
- 老い
- 格差
- 介護
- 認知症
- ミクロ
- マクロ
- フィールドワーク
- グローバル
- アジア
- 中国
- 旅
- 民族
- 宗教
- 中央大学
- 文学部
- 文学研究科
- 卒業式
- 卒業生
- 修了式
- 修了生
- メッセージ
- ChuoOnline
- 震災
- 高齢者ケア
- 女性労働
- 地方経済
- 文学部ガイドブック
- 社会学演習
- 大学
- 教養
- 虫の目
- 鳥の目
- 新型コロナウイルス(COVID-19)
- 社会学をスル
- 社会構想
- 中央社会学
- 家族
- 結婚
- 恋愛
- 多様化
- 皇族
- イエ
- 少子化
- 離婚
- 雇用
- 地域社会学
- 地域
- 会社
- 都市社会学
- 若者
- 社会構造
- 平等主義
- パンデミック
- 理解社会学
- 宗教社会学
- 現象学的社会学
- ウェーバー
- 物理学
- 時間
- 国文学
- 大学改革
- コロナ
- ニュージーランド
- マオリ
- チョコレート
- 労働改革
- ウクライナ侵攻
- 平和
- 歴史
- 人間
- 資本主義