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記事2025.06.11

身体的言語と非論理的推論こそが抽象的思考と知的創造を可能とする(天田城介)

 飽きもせず毎号「社会の読み方」で記しているが、私たちは、論文とは「①主題となる問いを提起し、②証拠を挙げて論証して、③問いに対する答えを述べる、という流れを構成する」(小熊 2022:29)ものであり、この「問い-論証-結論」の3点セットで成立しているなどと安易に授業で説明してしまう。更に危なっかしいことに、「研究に値する問いとは、答えの出る問いであること、手に負える問いであること、経験的に検証可能な問いであること」(上野 2018:50)と教えてしまうことさえある。大いに反省すべきだ。

 では、【なにゆえ「問い」こそが重要であるのか】を他者にいかに説明したらよいかを考えあぐねていたところ、今井むつみ・秋田喜美『言語の本質――ことばはどう生まれ、進化したか』が上梓された。「新書大賞2024」第1位、アジア・ブックアワード2024「最優秀図書賞」を受賞し、23万部のベストセラーとなった本なので読了された人も多いだろう。

 きわめて乱暴に要約すれば、この本の最大の発見は、【1】子どもは、自らの身体感覚に接地している「ワンワン」「ゲラゲラ」「モグモグ」など擬音語、擬態語、擬情語を含む包括的な用語(4頁)である「オノマトペ」を足がかりに言語を学び――記号を別の記号で表現するだけでは、いつまで経ってもことばの対象についての理解は得られないという「記号接地問題」への一つの応答であるが、ここでは略――、その最初の端緒となる知識が接地されていることで、その知識を雪だるま式に増やしていくことができ、「最初はちっぽけだった知識が新たな知識を生み、どんどん成長していく」(194頁)ようになるのだ――本書はこれを「ブートストラッピング・サイクル」と呼ぶが、これも割愛――。【2】このオノマトペを足がかりに子どもは言葉が示す対象を探しながら、同時に対応づけた対象を一般化する時の手がかりを探索すると同時に――例えば、子どもが名づける時に話者が見ているモノが名づけの対象であることを想定したり、モノの名前を指す言葉は似た形のモノに使えるというルールを適用したり、同じ動作に動詞を適用することができるようになったりする――、「学習した知識を分析し、さらなる学習に役立つ手がかりを探して、さらに効率よく知識を学習していくのだ(202頁)――「つまり言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである」(204頁)――。そして、【3】「子どもが言語を習得する過程で「名詞は色や素材や大きさではなく、形の類似性によって一般化される」「動詞は動作をする人や対象ではなく、動作自体の類似性によって一般化される」といった洞察を生み出しているのがアブダクション推論である(214頁)――演繹推論、帰納推論、アブダクション推論のうち、常に正しい答えを導くことができるのは演繹推論だけであり、「帰納推論とアブダクション推論は、絶対に正しい正解が決まらない議論である。だから、新たな知識を創造するのだ」(217頁)――。人間こそは、前提と結論をひっくり返してしまうようなリスクのある非論理的なアブダクション推論をするが、それこそが人間に言語を獲得させており、「目では観察できない抽象的な類似性・関係性を発見し、知的創造を続けていくというループの端緒になる」(248頁)ことを大胆かつダイナミックに明示した点だ。

 いわばオノマトペを足がかりに得られていく言語獲得のプロセスにおいて、誤りを犯すリスクのある非論理的推論こそが、逆説的に私たちが抽象的かつ科学的に思考することを可能とし、知的創造を生み出していると主張するのだ。

 換言すれば、最も身体性から隔たりのある抽象的概念を用いた思考こそは逆説的にもその端緒として身体性が刻印された言葉を通じて達成されていること、論理的かつ科学的な思考こそは逆説的にもまさに非論理的推論によって可能になっていることを指し示しているのだ――ちなみに、言語論的転回を経由した構築主義などの社会学はこの身体性と非論理的推論をいかに応答するかが問われているが、これもここではスキップ――。

 かつて内田隆三は「重要な問いは、ただ『答えを得る』ためというより、その問題をめぐって自分の思考を限界まで深めるためにあるというべきであろう」(内田 2005)と言及したが、しかしそれでは【なにゆえ「問い」こそが重要であるか】に何ら応答していない。もしかりに、私たちおいて身体的言語と非論理的推論こそが抽象的思考と知的創造を可能としているのであれば、その接続はおそらく「問い」という形において立ち現れる。もちろん、それはあまりに膨大なバイアスに満ちたリスクだらけの非論理的推論の中から偶発的にそのような「問い」が立ち上がるものである。だとすれば、私たちはこの思考バイアスに塗れた世界の只中でその思考バイアスを常に抱えながら、幾度となく繰り返し自らの「問い」を立て続け直すことを通じてかろうして私たちの世界は僅かながらに、しかしドラスティックに編成されていく。そんな自由があるのだ。「問い」が重要であるのはまさに「この世界の只中を生きざるを得ないながらも編成されていく世界を感受する自由」であるのではないかと思う。

 

今井むつみ・秋田喜美.2023.『言語の本質――ことばはどう生まれ、進化したか』中公新書.

小熊英二.2022.『基礎からわかる論文の書き方』講談社現代新書.

内田隆三.2005.『社会学を学ぶ』ちくま新書.

上野千鶴子.2018.『情報生産者になる』ちくま新書.


初出:天田城介「身体的言語と非論理的推論こそが抽象的思考と知的創造を可能とする」『中央社会学』第34号、中央大学社会学会、2025年、164-165頁  

この記事を書いた人
天田 城介
Josuke Amada

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