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コミュニケーション・メディアを通してみる社会(首藤明和)
社会の変動を、社会の誕生にさかのぼって、すこし大胆に俯瞰してみましょう。
生物で、高度に発達した種は、自己運動能力や遠隔知覚能力を備えるに至ります。自身の知覚を拡張するだけでなく、たとえばミーアキャットなどがイメージしやすいのですが、「代理学習」や「認知の節約」を通して、群れのなかで他者の感覚器官の助力を仰ぎ(集団でキョロキョロあたりを見渡し)、(外敵がいないかどうか)大量かつ速やかに情報を入手するようにもなります。
ところがヒトの場合、その進化における特殊な一分枝の発生理由は、環境への認知的能力の高さに求めることはできません。むしろヒトの認知的能力は、他の生物より劣っていると言えます。ヒトは、鳥類の視覚や、他の哺乳類の嗅覚、聴覚のような優れた知覚能力を持つことで、厳しい環境のなかを生き抜いてきたわけではありません。ましてや、群れを形成して他者の感覚器官の助けを得ることで、認知的能力の負担を軽減し、同時に認知的能力を拡張してきたわけでもありません。
むしろヒトは、有意味なコミュニケーションいう複雑な秩序を形成することで、〈社会的依存性〉と〈個人化〉を共進化させ、環境に適応してきたのです。
生物は、相互に依存すれば、ある程度の環境変化に対応できますが、一定程度を超えた場合、むしろ反対にそれだけ生存の蓋然性は低くなります。昨今の気候変動で、絶滅の危機に瀕する種が後を絶たないことなどがその証左です。したがって、よりシビアな環境の変化に対応するためには、より高次のシステムが必要になります。そのシステムとは、相互に接触する仕方を〈選択〉することができ、その選択を通じて、相互に〈依存しない〉状態をもたらすことができるシステムです。人間にとってそれは、非生命的な〈社会〉というコミュニケーション・システムでした。
人間は、コミュニケーション(社会)を通して、環境に対応します。コミュニケーションは、問題に応じてさまざまなメディアを形成してきました。文字といった理解を助けるメディア、印刷物といったコミュニケーションの到達範囲(時空間)を拡張するメディア、そして貨幣、権力、法、愛、真偽、美醜などバイナリーコードのなかでコミュニケーションの成果を確かなものにしようとするメディアなどです。
どんなに社会が〈発展〉しても、環境(世界ひいては宇宙)の複雑性と同じ多様性を、社会自身は持つことができません。コミュニケーションの認知能力を高めたところで、環境の有する複雑性をすべて兼ね備えることはできないのです。ちょうど私たちが、可視光線だけを知覚して世界を〈見ている〉ようにです。
人間は社会に生きるなかで、〈社会的依存性〉と〈個人化〉を共進化させてきました。問題に直面すると、解決のために新たなコミュニケーション・メディアを作り出しますが、そうした解決に向けた取り組みそのものが、新たな問題を生み出す起点にもなってきました。
たとえば、コミュニケーションの到達範囲が時空間で制限される問題に遭うと、社会は印刷機を発明し、印刷物という拡張メディアをとおして、コミュニケーションの受け手の範囲を広げてきました。拡張メディアによって同一の情報が流布されるにつれて、誰がどのテクストを読んだのかを、また誰がその内容を記憶しているのかを、もはや知ることができなくなります。近代のマスメディアのシステムのなかでは、一段と冗長性(余剰性=知識や記憶)が匿名化され、時間はより急速に流れるようになります。伝達された情報は、それ以後の行動の前提として受け入れられるかどうかは、ますます不確実になります。コミュニケーションには、計り知れないほど多くの者が関与するようになり、もはやコミュニケーションにおいて、個人の動機や、それに基づく因果関係を確認することもできなくなります。
このような状況のなかで生成し発展してきたのが、コミュニケーションの成果を確かなものにしようとする「成果メディア」、すなわち先にみた、貨幣や権力、法などの「象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア」です。このメディアは、条件づけと動機づけを結びつけます。たとえば貨幣は、「お腹がすいたからこの果物を買う」という動機と、「200円だから果物を購入できる」という条件とを結びつけ、両者を純粋な形で分離することが不可能なほどに象徴化(結合)します。
こうして、人間の意識(動機)と社会の状況(条件)は象徴的に結びつけられ、一般化されていきます。象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディアの制度化は、あたかも社会全般に及ぶコンセンサスが成り立っているかのように、しかも、そのコンセンサスが貨幣や権力、法、真偽(科学)などのバイナリーコードやその運用プログラムによって保証されているかのように振る舞います。そこでは社会は、ますます未知なる状況(環境)へ適合できると思い込みますし、また適合していかねばならないと考えます(資本主義の飽くなき拡大再生産や、実定法による時空の均質化=領土化など)。
皮肉なことに、非生命的な社会への依存と個人化の共進化は、人間を、他者という生命体を必要としない境地へと導くのかもしれません。もしそうならば、社会の仕組みを解明し、新しい社会の構想に取り組む社会学に課された使命は、とてつもなく大きいのではないでしょうか。
参考文献:Luhmann, Niklas, 1997, Die Gesellschaft der Gesellschaft. Suhrkamp.(馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳=2009,『社会の社会 1・2』法政大学出版局.)
初出:首藤明和「コミュニケーション・メディアを通してみる社会」『中央社会学』第33号、中央大学社会学会、2024年、208-209頁
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