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記事2024.05.29

世界とのコミュニケーションに開かれていく別様な形式(天田城介)

 私自身、講義やゼミなどを通じて学生には「論文とは『問い』と『論証』と『結論(答え)』の3点セットで構成されたものであり、他者を説得する技法から発展した形式である」と教えてしまっている。具体的には、あまりに教科書的であると知悉しながらも、「かりに『研究』を『ある特定の事象についての真実を追求する一連のプロセス』と定義するならば、『よい研究』とは『新たな事実や解釈の優れた発見』であり、その発見は『論文』という形式で証明されるものである」と説明する。今日の私たちに求められている「論文」とは「(1)与えられた問い、あるいは自分で立てた問いに対して、(2)一つの明確な答えを主張し、(3)その主張を論理的に裏づけるための事実的・理論的な根拠を提示して主張を論証する」(戸田山2002:41)ような形式であることは間違いない。

 もちろん、「新たな事実や解釈の優れた発見」がなされていれば、論文などでなくとも、SNSなどの媒体でも構わないではないかと思うかもしれない。しかしながら、そこには「研究」というコミュニケーションが可能となるための「型」が求められる。論文は、「①主題となる問いを提起し、②証拠を挙げて論証して、③問いに対する答えを述べる、という流れを構成する」(小熊 2022:29)ものであり、それはアリストテレスの弁論術(レートリケー)を範とする。そして、その是非は別にして、今日のグローバル化や大学・大学院の大衆化などの社会変動にともなって、私たちはどんな分野で研究するにせよ「他者を説得する技法たる論文」として「科学」的な論文が強く求められるようになっているのだ。そこでは、「研究に値する問いとは、答えの出る問いであること、手に負える問いであること、経験的に検証可能な問いであること」(上野 2018:50)となり、「オリジナリティとはすでにある情報の集合に対する距離」すなわち「すでにある知の集合からの遠さdistance」である「自分の立ち位置stance」(上野 2018:19)を指すと解説される。今日の大学ではこのような「オリジナルな問い」を立てることは価値あることである。その意味で「よい研究」を論文によって証明するという「作法」は合理的であり、論文における「型」を守るがゆえに研究ははじめて創造的な活動になるのだ(天田 2013)。

しかしながら、そもそも西欧においても科学研究の成果発表として「論文発表」という形式が定着したのは18世紀後半から19世紀にかけてであり、自然科学分野でも厳密で精緻な形式となったのは1920年代以降である(中山 1974→2013:109-130)。更には、アメリカ社会学界においても1960年代以降の大学の制度化・大衆化や学会の組織化・民主化を背景に『アメリカ社会学雑誌(AJS)』などの査読システムは形成され、社会学において「科学的な論文」の形式が強く求められるようになったのだ(天田 2013:270-275)。

 今日の社会にあって、こうしたアリストテレス的な弁論術のような論文は、科学的な論文として他者を説得するための合理的な形式である。また、学会の査読システムや学内の審査・評価システムなども一定の合理的な仕組みとして成立していることは間違いない。そのため、私たちはこのような弁論術的な論文だけが他者を説得する技法ではないことを知りつつも、今日の社会を生きる学生たちに求められる技法・戦略として、学生たちに論文とはこうした形式であると教えなければならないし、現に教えてしまっている。

 しかしながら、他者の説得の形式や方法は、ほとんどの日本の大学で教えられている「問い-論証-結論の3点セット形式」に限らない。アリストテレス的な弁論術(レートリケー)のような形式だけではなく、弁証法(ディアレクティケー)の形式もあるし、神話や詩や文学やアレゴリーやアートでしか他者に届けられない形式や方法もある。「論証」で他者を説得する技法だけでなく、感情や人柄や文学や芸術などで説得する技法もあるのだ。

 ヨーロッパでいまだに人文・社会科学の領域において生き続ける論文形式として、テーゼとそのアンチテーゼを止揚することによってより高い次元の命題を導出する弁証法の技法もある。神話や詩や文学やアレゴリーやアートを媒介に移ろいゆく儚く切ない言語化しにくい世界を描き出す技法もある。ここには「問い-論証-結論の3点セット形式」は内在していないが、確かに「何か」が私たちの世界を照らし出し、彩りを与え、いのちの息を吹き込み、言語化できない美しさや儚さや切なさを記述してくれている。そして、私たちはそんな「何か」の訪れによってもたらされた世界に、胸動かされ、心を震わせ、突き動かされ、立ちすくむであろう。そんな形式によって私たちの他者とのコミュニケーションは、否、世界とのコミュニケーションは開かれていくのである。

 

天田城介.2013.「学会における査読システムの合理性」須田木綿子・鎮目真人・西野理子・樫田美雄編『研究道――学的探求の道案内』東信堂:262-279.

中山茂.1974→2013.『パラダイムと科学革命の歴史』講談社学術文庫.(中山茂.1974.『歴史としての学問』中央公論社の増補解題)

小熊英二.2022.『基礎からわかる論文の書き方』講談社現代新書.

戸田山和久.2021.『新版 論文の教室――レポートから卒論まで』NHK出版.

上野千鶴子.2018.『情報生産者になる』ちくま新書.


初出:天田城介「世界とのコミュニケーションに開かれていく別様な形式」『中央社会学』第33号、中央大学社会学会、2024年、206-207頁 


この記事を書いた人
天田 城介
Josuke Amada

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