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記事2021.06.03

景観の背後の“構造/人間の汗や想い”を掬い取るために、あるき・みて・きいて・しらべ・ふりかえり・ともに考え・かく(新原 道信)

初出:『中央社会学・社会情報学』(中央大学社会学・社会情報学会 2015年3月)「社会の読み方」


景観の背後の“構造/人間の汗や想い”を掬い取るために、あるき・みて・きいて・しらべ・ふりかえり・ともに考え・かく

                               新原道信


私がベルリンに居るということは、私の直接的な現在であるが、これはここに来るまでの旅によって媒介されている。

Daß ich in Berlin bin, deiese meine unmittelbar Gegenwart, ist vermittelt durch die gemachte Reise hierher.                  (G.W.F.ヘーゲル『小論理学』第66節) 


 「私がここに居る、ここに在る」とは、いかなることでしょうか。「私の存在」というものが、出会ったすべてのひと/土地/ことがらとの“交感/交換/交歓”によって成り立っていることを意識すること、さらにはその“背景(roots and routes)”を理解しようとすることが、社会学の第一歩です。そう考え、講義の組み立てを工夫しています。

 今年度の講義では、「広島基町アパート」(2013年8月24日放送、NHK)というドキュメンタリードラマを学生のみなさんと見ました。このドラマに登場する少年は、東京から広島基町への旅をして、はじめて会う祖父と暮らし始めます。十年前に家を飛び出した母が、一人息子を父のもとに送ったのです。ごくふつうに東京で育った少年にとって、「爆心地近くの広島基町」も「中国語を話すおじいさん」も、「中国語で赤ん坊の世話をしているちょっと気になるかわいい女の子」も、まったくの「異文化」でした。

 ぼくはザンリュウコジの孫だったの!?――少年は、学校から抜け出し、少女と二人で「冒険」に出かけ、広島の街をあるき・みて・きいて、少し考えます。「冒険」から帰った後、国際教室の先生から教えてもらったたどたどしい中国語で祖父に謝罪します。「心配かけてごめんなさい」。ドラマのなかの少年の行動は、最初から最初まで、洗練されたものではありませんでした。しかし、夏目漱石の『坊ちゃん』のような無鉄砲さで、あるき・みて・きいて、考え、少しだけ祖父のことを理解し、自分のためにではなく声を発します。

「おじいちゃんは、どうして中国で育ったの? 背中の傷跡はなぜ? 何があったの?」という孫に、「もう忘れたよ」と言っていた祖父が、誰にも話すことなく墓場まで持って行こうと考えていた、中国での痛烈な体験を、孫の同級生の前でおずおずと言葉にしました。「家を出た娘が孫を自分のもとに贈り届けてくれました。いまこうして孫が生きていてくれる、そのために自分は生き残ったのだ、つらい体験もすべてこのためにあったのだと思えます。生きていてよかった。ありがとうございます」と。

 誰かのこと/自分のことを“識ろう”とすることは、「傷口」をこじあけるようなところがあり、あきらかなる介入の暴力を自覚し、罪責感とともにその自らの業を引き受ける必要があります。遮蔽しようと思えば出来ないことはないと思われることがら、識ることの恐れを抱くことがらを、あえて境界を越えて選び取ることになるからです。しかし、少年の無鉄砲さと無償性、“驚きと遊びと探求心”は、自分の失敗、限界を受け入れていくことを旨とするフィールドワークのヒントとなっていると講義のなかで話しました。

 自分はどのようにつくられ/どこから来てどこへ行くのか。ひとつの“景観(panorama)”としてしか受けとめることのできない「事件」や「データ」や「情報」の背後にある構造やシステム、人間の営み(汗や想い)を探ること、自分のなかの/なかに歴史と社会を読むこと、すぐには分からないことがらと出会うこと、ちがうものの中に同じもの、同じものの中にちがうものがあることを身体でわかること、それがフィールドワークの根本的意味なのだと思います。それは、特別なことをしなくても、日々の営み(デイリーワーク)のなかでしていくものでもあります。 


満員列車のなかで、いつも車窓を見ている。丘陵の斜面に「土地を造成」し、へばりつくようにして、家々がつづいている。土砂崩れが心配になりそうな狭い土地に建てられた家々、無愛想な灰色の、ひび割れた顔をしたマンション、数十年前の「文化住宅」、奇抜な色彩感覚の六角形の家、壁面にイラストが描かれたアパート、水田で背中を丸める老婆、何に苦しみ、何を喜び、どんな日々をくらしているのだろう。いま都市郊外の私鉄沿線で、日々をなんとか暮らしているひとたちは、どこからやって来たのだろう。それぞれの“背景(roots and routes)”が在るはずだ。無数の、無名のひとたちが成し遂げてきた、ごくふつうの暮らし、その年輪、その厚み、その闘い、願望と企図の歴史に、身体の奥から畏敬の念がわき上がり、くしゃみをした。


この記事を書いた人
新原 道信
Michinobu Niihara

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