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記事2021.06.02

人と人の「間」に創られる「網の目」(新原 道信)

初出:『中央社会学・社会情報学』(中央大学社会学・社会情報学会 2016年3月)「社会の読み方」


人と人の「間」に創られる「網の目」    新原道信


「シリアの難民」「オスプレイ」「熱病」、等々、どこか遠くの「ささいな、とるにたらないニュース」だと思っていたものが、ある日突然、我が身に深くかかわる「焦眉の問題」となる「惑星社会(the planetary society)」に、私たちは生きています。とりわけ「3.11以降」、私たちは、高度に複雑化した選択、不確実性、リスク、人間の体験智と知的認識の「淵」に位置するところの「惑星社会のジレンマ」(メルッチ)に直面しています。

まず、「自然とテクノロジーのジレンマ」です。私たちは、「環境的観点から見た正しさ」を実践しようとしても、なかなか消費水準を下げられません。この発想が成立するには、征服されるべき「荒野(フロンティア)」が必要でした。しかしいま、世界各地の都市のみならず地方でも、「荒野」で生まれた人々が“受難者/受難民(homines patientes)”として流入しています。つまりは、「荒野の反逆」が不可逆的に起こりつつあります。これは「包摂と排除のジレンマ」です。

加えて核や遺伝子工学が暗示しているような「自律性と管理制御のジレンマ」があります。放射能を含んだ水は地球上を循環し、私たちの身体に蓄積され、とりわけ生まれ来る子どもたちに影響を与え続けます。さらに、「科学的知識の不可逆性と選択の可逆性のジレンマ」があります。すでに獲得してしまった科学的知識はなくせませんが、何かをやりなおしたり取り戻したりする選択と行動様式の可能性を持ってもいます。こうして、いま私たちは、原子力発電まで含めた核の恐怖、環境汚染などの惑星規模の問題から、戦争、暴力、差別・抑圧、排除など社会の亀裂の問題、さらには、病、自死、殺人個々人の心身レベルで現象する内面崩壊の問題、そしてこれらの問題を解決する「処方箋」としつづけた科学技術の在り方をめぐる「ジレンマ」に直面しています。

おそらく、「文明」としての「スローダウン」、人類規模での「Sinking with Style(優雅に品よく減速する)」(ガルトゥング)、資本主義社会そのものの「晩年の様式」(サイード、大江健三郎)が求められています。しかし、ごくふつうに生きる個々人にとっての「様式/スタイル」はどのようなものでしょうか。これまでも、人間が生み出した多くの有害物質を、森や海は、やわらかく受けとめ、やわらげてくれました。私たちは、この物質や生命の関係性の「網の目(web)」のなかで、その「間(liminality, betwixst and between)」で、生存を確保しています。森や土が生きていれば、汚染された物質を浄化し、地下水流を生み出してくれます。

 人間の社会もまた、「網の目」が生きていれば、不条理な苦痛をやわらげてくれます。各世代のつなぎ役が、「(我が)身を投ずる」(上野英信)試みをし続け、一個人では応答しきることは出来ない困難と痛苦をやわらげることを可能とする「網の目」が築かれてきました。「惑星社会のジレンマ」のなかで、それでも人間に出来ることは、水を浄化してくれる「里山・里海」のような人間の「網の目」を創ろうとし続けることだと思います。

 宮澤賢治の詩「雨ニモマケズ」の「サウイフモノニ」のように、慎み深く、思慮深く、自らの限界を識ること(umiltà, decency)とともに、命がつづく限りは、大地に根付き、真摯に働き、慎ましさとともに暮らしつづけた人たちによって、私たちの社会は続けられてきました。「経済成長」の果て、何度も破壊されつづけた人間の里山・里海(「受け皿」としての社会)にむけて、それでも種を蒔く人がいることに、ただ畏敬し、「力及ばずとも少しばかりは」と思い、開墾すべき畑地へと出てゆくような、生の最期の時間を惜しみなく孫に与えようとする老人のように。祖父母の気持ちに、ズレをともなって応えようとする孫のように。

 この流れのなかで、私といっしょに学んでくれている人たちは、文学部(大学院生と学部生)、FLPの地域公共と国際協力の各ゼミや講義・演習・実習科目で、「当面は得にならないこと」をやってきてくれました。同学年同士、先輩・後輩、他のゼミの人たちとの間で、衝突し、出会い、切り結ぶという「骨折り」をしながら、タテ・ヨコ・ナナメの人間関係の「網の目」を創ってきました。そのすべてがうまくいかなかったとしても、この方向性は、これからの惑星社会を生きていくときに決してまちがっていないと思います。よりゆっくりと、やわらかく、深く、耳をすましてきき、勇気をもって、たすけあうことに費やした時間とエネルギー、人と人の「間」に創られる「網の目」だけが、後に遺され、託されていくはずです。


この記事を書いた人
新原 道信
Michinobu Niihara

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