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記事2021.05.25

“惑星社会のフィールドワーク”――“根本的な問い”からの覚え書き(新原 道信)

(図:地中海・ヨーロッパにおけるサルデーニャ、ランペドゥーザ、メリリャ、セウタの位置)


初出:『中央社会学・社会情報学』(中央大学社会学・社会情報学会 2020年3月)「社会の読み方」      


“惑星社会のフィールドワーク”――“根本的な問い”からの覚え書き 

新原道信


決定的な問いは、これだ――エコロジカルに持続可能な文明はいかにして望みうるのか? 

“より速く、より高く、より強く”の代わりに、“よりゆっくり、より深く、よりやわらかく”。

(A.ランゲル遺稿集『軽やかな旅人』Alexander Langer,, 2011, a cura di Edi Rabini e Adriano Sofri, Il viaggiatore leggero: Scritti 1961-1995, Palermo: Sellerio, p.18より)


 1980年代よりヨーロッパのエコロジー平和運動を主導したA.ランゲル(Alexander Langer)は、イタリア語、ドイツ語、ラディン語(アルプス山岳地帯ドロミーティで話される言語)の文化が共存するイタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ(南ティロル)の地に生まれ育ち、異質性・他者性を含み混んだ「群島のヨーロッパ」を生み出すことに生涯を捧げました。

 “よりゆっくり、より深く、よりやわらかく”は、1994年9月8-10日、ランゲルの故郷ドッビアーコで開催された「エコロジカルな豊かさ」に関するシンポジウムで発せられた言葉です。この頃、ランゲルは、バルカン半島の民族紛争に心を痛め、身を削っての活動を続けていました。「トレントの駅で偶然ランゲルと出会った。傷つき疲れ切って曇った顔が忘れられない」と、私の旧友メルレルは言いました。それから程なくして、1995年7月、「悲しまないでください。正しいことを続けていってください」と家族や友人に書き遺し、彼は自殺しました。

 ランゲルは、他者の“痛み/傷み/悼み”に対して、“[鳴いて撃たれるキジのような]攻撃されやすさ/傷つきやすさ(vulnerability)”と、“声をかけられたら、なんとかありあわせの道具で現実の課題に応答するという生き方・哲学”を持ったひとでした。ランゲルを失った深い悲しみ、この智者への哀悼の気持ちをこめて、メルレルと私は、〈よりゆっくりと、やわらかく、深く、耳をすましてきき、勇気をもって、たすけあう(lentius, suavius, profundius, audire, audere, adiuvare)〉を人生の標語とするようになり、学生のみなさんにも伝えてきました。 

 メルレルと私は(そしてもう一人の盟友メルッチとの間でも)、ランゲルの遺志を引き継ぎ、異質性・他者性を含み混んだ社会を構想しようとしています。しかしながら、「9.11」からアフガニスタン、イラク、世界金融危機、さらに東日本大震災と、地球規模のシステム化・グローバル化がもたらす“受難者/受難民(homines patientes)”の増大、個々人の社会的痛苦に起因する社会紛争と社会統合の危機はきわめて深刻な地球規模の問題となってきました。

 現代社会は、気候変動、戦争、紛争、テロ、ヘイトクライム、核の脅威、放射能、身心の不安・ストレス・病、等々、「地域」や「国家」を基準とした政治体制(レジーム)では統御できない“多重/多層/多面”性をもった複合的問題”、メルッチの言葉で言えば、「惑星社会のジレンマ」に直面しています。

 「問題解決(problem solving)」という枠組みの有効性が揺らぐ状況下で、社会の不確定性に対する不安・不満は、近年、“異物への過剰な拒否反応”を引き起こし、移民・難民、障がい者、老人・女性・LGBT・子どもたち等のマイノリティが攻撃の対象となっています。可視的な現象として、メキシコ-アメリカの「壁(barrier,muro)」の建設のみならず、ヨーロッパをめざす難民・移民に対するハンガリー他の国境封鎖とフェンスの建設、日本でもヘイトスピーチや牛久や大村の入国管理センターでのハンガーストライキ・死亡事件が起こっています。  

 「ベルリンの壁」崩壊、東欧革命、アラブの春といった潮流を逆転させるかのように、物理的な意味でも比喩的意味でも、“「壁」の増殖(proliferation of 'barrier')”が起こっています。この「逆流」の蹉跌を受けとめつつ、メルレルと私は、 「分断」「排除」という「可視的局面」の背後で、諸個人の深部に醸成されている「潜在的局面」を探求・把握することが最重要であると考え、両局面を捉える方法でとして、“惑星社会のフィールドワーク(Exploring the Planetary Society)”に力を注ぎ込み、世界各地を訪れています(最近はアフリカからの難民にとっての「ヨーロッパの玄関」となっているランペドゥーザ、メリリャ、セウタなどを訪れました)。

 そしていま、以下の“根本的な問い(La domanda da radice)”に行き着きました:

惑星地球をひとつの海として、社会をそのなかに浮かぶ島々として体感するような“智”――地球規模の複合的諸問題に応答する“臨場・臨床の智”を、いかにして紡ぎ出すのか。地球の、他の生き物の、他の人間の“不協の悲鳴(le grida disfoniche)”、同時多発的に継続的に、表面上の「調和」「安定」を揺りうごかす叫び声を、いかに“感知し(percieving, sensing, becoming aware)”“感応する(responding/sympathizing/resonating, rispondendo / simpatizzando / risonando)”のか?


 このように考え、みなさんが“ともに(共に/伴って/友として)” 、“ともに創ることを始める”ことを許容してくださっていることへの深い感謝の気持ちをお伝えしたいと思い、長々と書きました。ご厚情に心から感謝します。


この記事を書いた人
新原 道信
Michinobu Niihara

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