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ボーっと起きてんじゃねーよ(矢野 善郎)
初出:『中央社会学・社会情報学』(中央大学社会学・社会情報学会 2019年3月)「社会の読み方」
ボーっと起きてんじゃねーよ
矢野 善郎
文明観の重要な部分を変えるような読書体験は,50歳を越えてしまった最近,きわめて希である。しかし昨年は,久しぶりに宗教的な目覚めのごとき体験をもたらす本に出会った。
Matthew Walkerによる,Why We Sleep: The New Science of Sleep and Dreams (Penguin 2018)である。著者は睡眠を専門とするUC-Berkeleyの教授で,脳神経科学・心理学者。英米でベストセラーとなっていたので手に取ったが,寝る間も惜しんで読むはめになった。
ちなみに日本語訳は既にあるが,『睡眠こそ最強の解決策である』とザンネンなタイトルと表紙カバーで売られている(翻訳の良し悪しは知らない)。これだと生活改善のための本のたぐいに見えるが,基本的には,どうやったら眠りの質を高められるか等のアドバイスの本ではなく,眠りの生理的機能についての科学的な研究成果を多角的に紹介する本である。
生物学的・脳神経科学的・心理学的な睡眠の科学の最先端からすると,6時間睡眠すれば十分であるとか,足らない部分は週末に寝だめすれば良いとか,老人は眠らなくて良いとか,夢は無意識の欲望の投影であるとか,これらは基本的には全て俗信である。私たちが眠りについて知っていたつもりであったことや,こうであって欲しいと思っていたことが,いかに根拠がないかを証拠付きで教える本となっている。これだけでも読む価値があるが,それにもまして考えさせられたのは,睡眠論は立派な文明論であるということである。睡眠不足によって引き起こされる負の社会的影響――寝不足による苛々や暴力,交通事故の増加,自殺――,そして経済的・生殖的な「生産性」の低下。これらの関係の統計的な有意性は疑いえない。この本の読後,睡眠不足は現代社会の中心的な(場合によっては最大の)文明病であるという教えに共感することになった。
社会思想史的には,眠りは議論の焦点ではなかった。労働と休息の問題はマルクス・エンゲルスも取り上げているし,(エリアスなどをはじめ)誰と寝るかはもちろんトピックとしてあがっていた。しかし睡眠自体は社会性を持たないと考えられたのだろうか,それは社会を論じる際の中心課題ではなかった。例外はもちろん『夢解釈』のフロイトだが,脳神経科学が解明しつつある夢の生理的機能(記憶の整理など)は,フロイトのものとはかけ離れた文明病の姿を証拠付きで突きつける。睡眠不足と精神疾患・認知症・自殺との間に完全に有意な相関があるとなったら,デュルケムも『自殺論』を少し書き改めないといけないかもしれない。はげしい不眠症だったと言われるヴェーバーも,睡眠不足が人間の生理的なリズムにとってどれだけ深刻な影響をもたらすか(有意な心臓疾患・糖尿病・認知症等のリスク増加)を認識していれば,フランクリンの"Time is Money"についての「プロ倫」での論調も少しは変えていたかもしれない。
学校関係者にとって必読なのは,青少年の睡眠と学習・健康との関係についての議論であろうか。青少年の睡眠サイクルは,大人や乳幼児と違い,平均的には数時間ずれているとされる。つまり夜すぐには寝付けず,朝は起きにくい。ヨーロッパでは,既にこうした知見を取り入れ,青少年の睡眠時間を十分に確保するために,学校の始業を遅くし,早朝の活動なども禁止しているそうである(日本にもごく一部で,児童・生徒の睡眠改善に取り組む動きは始まりつつあるが,まだスタートしたばかりである)。
来年度から中大では(他大を真似して)100分授業になる。それにともない多摩でも1限開始は朝 9時になる。通学する学生の多くは,結構早起きしないといけないが,それが睡眠不足をもたらすかどうかは全く問題にはされていなかった。若者の睡眠サイクルを考慮に入れた大学運営が中大で実現するには何年かかるだろうか(中大でものごとを合理的に変更するのがいかに難しいかは,「社会の読み方2012」として書いた「5分を変えるのに4年間」をご覧いただきたい)。
この本の著者ウォーカーは,non-negotiable(交渉・妥協の余地なし)に睡眠を8時間確保しているらしい。私の場合,色々な意味で,もう手遅れかもしれないが,せめて認知症の進行を加速することだけでも防がなくてはと,それにならいたいと思うのだが,現実に8時間眠るのは案外難しい。職業人・家庭人として睡眠を削らざるを得ないという場合が結構多いのももちろんだが,この文明において,起きていたいという誘惑のなんと多いことか。
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