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記事2023.04.19

Miraka Kirīmi ―チョコレート・ブランドのポリティクス―  ( 矢野 善郎)

初出:『中央社会学』(中央大学社会学会 2023年3月)「社会の読み方」


Miraka Kirīmi

―チョコレート・ブランドのポリティクス―


矢野 善郎


2022年夏,ターム留学している娘に会うことを口実にして,初めてニュージーランドを訪問した。予定が合わず,実質4日間だけの残念な強行軍。しかも日本のその時点での政策では,入国前72時間以内のPCR検査が義務とされ,時間も検査費用も削られる。NZ満喫はできそうにないが,それでも楽しみにしていることが二つあった。一つは,南十字星,もう一つはNZ産チョコレート(ともに無事クリアー)。

チョコレート社会学?*1の密かな研究者としては,キャドバリーCadbury社の主力商品であるDairy Milk(私の好物)の生産拠点の一つがNZにあることは当然知っていた。しかし現地到着した調査員(娘)の報告によれば,NZで最も売れているのはキャドバリーでなく,ウィッタカーズWhittaker'sというブランドだという。

これは面白そうだと早速ググると,確かにそのようだ。しかもウィッタカーズは,10年ほど前から,チョコレートに限らず,あらゆるNZのブランドの中で最も信頼されているブランドとされているらしい。*2  さらにいえば,従来の信頼ブランドのトップ常連だったキャドバリー社を蹴落としての首位であるというのだ。

記事等を読み漁ると,NZでのキャドバリー社の凋落は2009年頃のパーム油スキャンダルが端緒らしい。*3 多くのチョコ製品には油脂が添加されているが,カカオ豆由来のココア・バターではなく,アブラヤシ由来のパーム油を添加する製造過程変更がその主問題となったようだ。実は,パーム油自体は人体に危険という訳ではなく,天然由来・安価・優秀な植物油脂として,あちこちで(チョコレート製造も含め)使われている。日本では現在でも問題にはならないだろう。しかしNZでは不買運動にまで発展したそうである。

実はここでは,パーム油添加そのものより,パーム油の製造過程が問題とされた。原材料のアブラヤシ大量栽培のため,インドネシアなどの熱帯雨林が激しく減少した。安価なのは,劣悪な労働条件での人権侵害のためでもある。NZに限らず欧州などでも,近年パーム油はかなりホットな争点になっている。その先駆けとも言えるのがこのスキャンダルであった。

ウィッタカーズ・ブランドの台頭は,palm oil free(パーム油不使用)や製造プロセスの透明性を永年にわたり謳ってきたことの成果であるようだ。チョコレートは現在,原材料のカカオ栽培についても森林破壊・労働搾取がホットな政治的・倫理的な争点となっている。先進国のあらゆるチョコレートのブランドにとって,製造過程で倫理的ethicalであることは,相当重要になりつつある。

ウィッタカーズは,それに付け加え,文化的な意味でも攻めたブランドであろうとしているようだ。ちょうどNZ滞在中,自社の主力商品であるCreamy MilkをMiraka Kirīmiとマオリ語でリパッケージして売り出し,ちょっとした騒動を起こしていた。一部の保守層と思しき連中が不買運動を呼び掛ける一方,マオリ語パッケージを支持する声がSNSで広がり,むしろバックラッシュのおかげで実際には大成功したようだ。*4

 NZ社会の未来にとって,マオリほど大きな文化的・政治的争点はない。

人類の祖先がアフリカを旅立ち,最後に上陸したのがニュージーランド。千年くらい前のいつか。最初に上陸したのは,マオリの祖先である。マオリは,ハワイからイースター島までの広大な太平洋に散らばる「ポリネシア」と呼ばれる地域の原住民と,言語的にも遺伝子的にも共通のルーツを持つ。マオリの祖先が,コンパスも海図もロクな船もなく,そこに島があることすら知らないのに,どうやって数千キロをわたり,どのような理由で,植民をはたしたのかは,人類史の最大の謎の一つとも言える。*5

 18世紀以降,主にイギリスからの移住者が支配者となり,原生林を伐採し牧草地を拓き,文字通りNZの景観を一変させた後も,完全には屈服せず,民族アイデンティティを一定程度は保ったマオリ。マオリは,先住民を祖先に持つグループとしては(豪州や米国のケースと異なり),NZ全人口の実に17.4%を占める存在感を持つ。*6 それ故か,近年のNZでは,植民や収奪への贖罪や,マオリ文化・マオリ語の再生が,環境問題やジェンダー問題の解決と並び,いわばNZの国是となっている。ブランドに敏感なNZの会社であれば,マオリ争点に触れざるを得ないが,一方でそれはヨーロッパをルーツに持つ国民の神経を逆なでする危険も秘めている。

たかが板チョコレートごときに大げさな,などというなかれ。そもそもブランドというのは,物語と不可分であり,多くの場合その物語は,様々な意味で政治的politicalなのである。この小さな国のトップ・ブランドは,それを味わい深く教えてくれる。


*1 受験生向けの模擬講義で,その一端を語った(キャドバリーについても)。動画を是非ご覧あれ https://sociology.r.chuo-u.ac.jp/page/about/videomeeting。

*2 https://www.trustedbrands.co.nz/brand-showcase/whittakers.asp

*3 https://www.nzherald.co.nz/business/cadbury-caves-no-more-palm-oil-in-its-chocolate/LFYVI2YYVUAAY3Q2RMWKUNASPY/

*4  https://www.stuff.co.nz/life-style/food-drink/300671485/most-young-kiwis-women-and-minorities-happy-with-whittakers-te-reolabelled-chocolate--white-men-not-so-much

*5 Christina Thompson. Sea People: The Puzzle of Polynesia. Harper. 2019.  

*6 https://www.stats.govt.nz/information-releases/maori-population-estimates-at-30-june-2022/#:~:text=At%2030%20June%202022%3A,447%2C800%20females%20identifying%20as%20M%C4%81ori



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矢野 善郎
Yoshiro Yano

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