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危機的瞬間に立ち会い想起するということ――「ロシアのウクライナ侵攻」以降の世界を生きつつ( 新原 道信 )
初出:『中央社会学』(中央大学社会学会 2023年3月)「社会の読み方」
危機的瞬間に立ち会い想起するということ――「ロシアのウクライナ侵攻」以降の世界を生きつつ
新原道信
「社会の読み方」という論題に取り組むにあたって、「人間と社会を学ぶ学生のみなさんに届ける言葉はあるのだろうか」――そういう想いをずっと持ってきました。しかしそれでも、声を発せねばと思う瞬間があります。たとえば、2022年2月24日は、そういう日でした。ゼミ生のみなさんには、およそ以下のような言葉を胸中からすくい出し、なんとか送りました。
2022年2月24日、ついにロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。ロシア軍は、核兵器の使用可能性に言及しつつ、主要都市にむけて短距離・中距離のミサイルを発射、戦車部隊がキーウ(キエフ)へと向かっています。いま私たちは、気候変動、パンデミック、“「壁」の増殖(proliferation of 'barrier')”などに加えて、分断と破壊、核戦争による人類滅亡の可能性をふたたび意識せざるを得ない切羽詰まった状況、社会の岐路に立たされています。
こういう危機的瞬間には、十分なものではないとしても、なんとか手持ちのすべてのものをかき集め、焦眉の課題に応答しようとする心身の“うごき(becomings, metamorfosi)”、“選択的盲目(現実から目をそらす性向)”でないところの“責任/応答力(responsibility)”が大切です。人間と社会が大きくうごいていく“(決定的な瞬間に)立ち会う(essere a un momento cruciale, encountering the critical moment)”なかで想起したことを、以下に記してみます。
まず想起するのは、1960年代に、核戦争の危機に直面した時に、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが言った言葉です。
私の意味する平和、人々が欲する平和とは? 軍事力を盾に強要する“パクス・アメリカーナ”ではない。ソ連への対応を省みましょう。両国には悲しい溝がある。違いを認め合えば、多様な人々が平和に共存できるはずです。突き詰めれば我々は皆――この小さな惑星で暮らし、同じ空気を吸って生き、子の幸せを願い、限りある命を生き、いつか死にゆくのです (キューバ危機後の1963年6月、ケネディ大統領が、ワシントン・アメリカン大学で行った演説より)
ケネディ大統領を敬愛する映画監督オリバー・ストーンは、こう言っています。
時として歴史の流れが変わる瞬間に遭遇することがあります。そのとき、私たちの心の準備は出来ているでしょうか。私は、ルーズベルトが人生の最後にチャーチルに伝えた言葉を思い出します。「私はソ連との軋轢(あつれき)を過小評価したい。こうした問題は何かにつけ生じるだろうし、そのほとんどは解決できるものだからだ。」
過剰反応せずに事態を見守り、敵対国の目を通して世界を見る――こうした姿勢は、他国への共感と思いやりから生まれます。これからの時代を生きていくには、地球全体の意思を尊重し、核戦争の危機や地球温暖化の脅威と戦わねばなりません。私たちは例外主義や傲慢さを捨て、「他国よりアメリカに神のご加護を」と祈るのをやめられるでしょうか? 強硬派や国家主義者のやり方が通用しないことはもはや明らかです。法を順守し、アメリカ建国の精神に立ちかえり、意見の違いを超えて、大切なものを守るのです。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスはこう記しました。「歴史は人間が成し遂げたことが忘れ去られないよう願って書かれた。」人類の歴史には戦争や死の記録だけでなく、誇りや成功、優しさ、思い出、そして文明が刻まれているのです。過去を振り返ることから未来への道は開けます。そして赤ん坊のように一歩ずつ、さらなる高みへと昇っていくのです。 「もうひとつのアメリカ史 第10回 テロの時代 ブッシュからオバマへ」のオリバー・ストーンの言葉より
オリバー・ストーンの言葉の「アメリカ」を、「日本」や「自分」におきかえることができます。つまりは、「例外主義や傲慢さを捨て」、自己中心主義(セントリズム)、過度の“自執による自失”を手放すという課題です。「歴史の流れが変わる瞬間に遭遇」したとき、私たちには何ができるのでしょうか。思想家ベンヤミンが言っているように、危機の瞬間に過去をつかみなおすことしかないのでしょう。
過去を歴史的に関連づけることは、それを「もともとあったとおりに」認識することではない。危機の瞬間にひらめくような回想を捉えることである。Vergangenes historisch artilulieren heißt nicht, es erkennen >wie es den eigentlich gewesen ist<. Es heißt, sich einer Erinnerung bemächtigen, wie sie im Augenblick einer Gefahr aufblitzt. W・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」 (Benjamin 1974=1994: 695=331)
Benjamin, Walter, 1974, “Über den Begriff der Geschichte”, Walter Benjamin Abhandlungen. Band I・2. Frankfurt: Suhrkamp.(=1994、野村修編訳「歴史の概念について」『ボードレール 他五編』岩波書店) Cf. 今村仁司、2000『「歴史哲学テーゼ」精読』岩波書店。
ここ数日、私が想起した(Erinnerung im Augenblick einer Gefahr )のは、1999年3月のコソボ空爆(父親の危篤と空爆のニュースをイタリアで聞きました)、「9.11」後のアフガニスタン侵攻(メルッチさんの訃報の直後のことでした)、2003年3月米軍のイラク侵攻(ミラノから日本へと向かう飛行機のなかで第一報が入り、その後、サイードが亡くなりました)、さらには、1968年プラハでのソ連軍の軍事侵攻、親戚の杉山芙蓉さんが戦死した1939年のノモンハン事件などでした。いずれも、個人的な“痛み/傷み/悼み(patientiae, doloris ex societas)”と歴史の“うごき”がクロスした“根本的瞬間(Grundmoment)”です。
ウクライナの人びとは広い意味での地中海の民であり、私が慣れ親しんだ地中海からの海つづきの土地ですので、胸がしめつけられます。イタリアの友人たちと立ち寄ったスウェーデン・エステルスンドのピッツェリアで、難民としてこの地にやって来たレバノン人店主から、「地中海の民のつながりと連帯の気持ちです」と、デザートをプレゼントしてもらったことがありました。『向こう岸からの世界史』の著者・良知力先生を想い起こしつつ、ウイーンからスロバキアのブラチスラヴァに移動したときの感触も想い出しました。
パリやロンドンではない「辺境」では、「歴史なき民(der geschichtslosen Volker)」といわれようが、戦争と国境線の移動の「不条理」のなかで、なんとか生き抜いてきた人たちがいます。私は、自分の父親の出自もあってか、こうした人たちにこころを寄せてきました(そうすることで自分や家族や大切な人たちの“背景(roots and routes)”に在ったはずの生の軌跡を“すくい(掬い/救い)とる(scoop up/out, scavare, salvare, comprendere)”ことを欲したのだと思います)。
2008年に亡くなられた加藤周一さんは、「2001年の同時多発テロ」以降の「閉塞感」の噴出を見据えながら、「1968年のプラハでなぜ鉄砲が撃たれざるを得なかったのか」を再考しようとされました。「圧倒的で無力な戦車と無力で圧倒的な言葉」のなかの「プラハの春」――「(深いところにふれる)言葉と(組織的暴力装置としての)戦車」の“衝突・混交・混成・重合”は、現在進行形であると考えられたからだと思います(Cf. 加藤周一著、小森陽一・成田龍一編、 『言葉と戦車を見すえて』筑摩書房、2009年)。
第二次大戦の終結後も、この世界ではずっと、必ずどこかの誰かが「不条理な死」の“受難者/受難民(homines patientes)”で在り続けてきました。私たちが出来るだけ見ないで済まそうとしていた“未発の瓦礫(rovine nascenti, nascent ruins)”は、“瓦礫の出現(rovine emergenti, emerging ruins)”へとうごいてしまったのです。
アフガニスタン、イラク、シリア、そしていままた、勝利者などいない(il vincetore non c'è)相克の「不条理」に私たちは直面しています。個々人の内なる“痛み/傷み/悼み”は「澱み」となって沈殿し、ある日突然発火し噴出します。1968年もまた、「噴出」の瞬間でした。しかし、加藤さんは、このなかで、 “創起するうごき(beginning the becoming, iniziare la metamorfosi)”とでも言うべきこと――「不条理」を生きる人々の可能性を見い出されてもいます。
1968年、プラハの地下放送から発せられた声は、国境をこえ、怒号のなか、緊迫した早い展開のなかで、ゆっくりと、やわらかく、人びとのこころの深部に根付いていきました(この内なる記憶・時間・場については、ドイツの作家エンツェンスベルガーが、『ヨーロッパ半島』晶文社、1989年のなかで書いています)。このときパリ、ウイーンにいた加藤さんは、 “創起”を体感されていたのだと思います。メルッチさんもまた、1960年代のイタリアの「熱い秋」そしてパリでの「1968年の噴出」に直面したことが社会運動研究の基点となったと話していました。私もまたイタリア・サルデーニャで、1989年11月9日の「ベルリンの壁」崩壊の瞬間に“立ち会い”ました。周囲のイタリアの友人が感涙するなか、恩師の一人・古在由重先生の「歴史は急には変わらない、しかしある日突然うごく」という言葉を、日本からはるか遠く離れた地中海の島で体感しました。日々の営み(デイリーワーク)として、“身実(みずから身体をはって証立てる真実)”からの想起を、「かぼそい糸」としてつないでいくことで、“メタモルフォーゼ(うごき)”が創起するのだと思います。
「戦間期」の終わりを生きる私たちには、いかなる“想起”とそこからの“創起するうごき”が求められているのでしょうか。わたしの胸中には、古在由重先生の下記の言葉がいつも在ります。
いま火事がおこっているというこの事実をぬきにして、それを消しとめようとする姿勢がわるいとか道具がわるいとか(笑)いう品さだめではこまります。そのとき大事なことは、たとえすこしくらい不完全な道具でも仕方がないから、とりあえずそれでもって火事を消そうとすることが緊急な任務だといえましょう。
「緊急な任務」をデイリーワークとするため、本作りをしていましたが、4月には、新原道信編『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』(ミネルヴァ書房、2022年)が刊行されます。この本を、分断と衝突、監視と疑心暗鬼の時代にあって、人間と社会のうごきを自前でとらえていくときの対話の相手としていただけましたら幸いです。その“うごき”こそが、ケネディ大統領たちから託された“願望と企図”、すなわち、ふつうに暮らし生き、つなぐことへの道だからです。 2022年2月26日
2022年2月以降、こころ休まらぬ日々を過ごしてきましたが、上記の『フィールドワーク入門』を読んでくれた学生のみなさんから、「先の見えない時代」を生きる不安やとまどい、「自分の『殻』を手放す方法は?」といった問いかけをいただきました。とりわけいま、みなさんに、以下のような「返礼」をしたいと思います:
・先生や親は、「正解」や「定石」を教えてくれますが、何かを考えるということは、考える枠組みそのものを考えるところから始める、つまりは前人未踏の地(no-man’s-land)をすすむことなので、「教えて」もらうことはできません。探し求め、何度も手放し、つくりなおすこと、まとまっていないこと、何者でもないことに慣れていくことなのかなと思います。
・わたし自身は、卒業論文・修士論文を、「人間はどう生きるのか」「この社会の問題とは何か」といった、論文のテーマとはなり得ないことで書きました(先輩や先生方からは「これじゃだめ(××)だよ。研究者にはなれないよ」と言われました)。その「蛇行」や「跛行」が、いまの仕事につながっているかわかりません。人生にはつながっている気がします。ですので、学生のみなさんが何度も立ち止まり、ひきかえし、やり直してもいいんだよと言い、エールを「贈る」ようにしています。
・わたしは人生のほとんどの時間を「立ち止まり」「うずくまり」、同じ失敗を重ねてきました。学生のみなさんには、「呻きつつ求めるひとのみを、是認する」(パスカル『パンセ』421)ことを伝え、わたしが、恩師・真下先生から言っていただいたように、「(そういうことを気にすることができるのは)あなたはまともだからですよ」と言いたいと思います。
・「すっきり」「くっきり」「着々」「迅速」ではない状態から学べることはたくさんあります。ですので、やわらかいタッチで、自分や現実に接してもよいのだと思ってください。
・わたしがいまここに在る/居ることのありがたさを理解することができたら、人間と社会についてのかなりのことがわかります。わたしは、自分の家族の歴史から考え、少しだけ外に出て、またそこにもどるということをしていると思います。ただし、途中の道草を楽しみ、感謝しています。
・みなさんの人生の旅が、たいへんなことがあったとしても深く味わいのあるものであることを、ただ願っています!!
人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。 (宮本常一『民俗学の旅』(講談社学術文庫、1993年、36頁)
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