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記事2023.04.19

大学改革をめぐる研究者/大学教員/大学人たちの閉塞感 (天田 城介)

初出:『中央社会学』(中央大学社会学会 2023年3月)「社会の読み方」


大学改革をめぐる研究者/大学教員/大学人たちの閉塞感


天田城介


「そんな小手先で大学がよくなるわけではないが、社会や大学全体の流れには抗うことはできないため、ここで落としどこを戦略的に見つけるしかない」

上記は、周囲からは良識があるとされている研究者/大学教員/大学人の言葉である。こんな言葉を大学の方々で反復的に聞くようになった。中央大学も例外ではない。

多少回りくどいが、この30年における大学改革をめぐる歴史的・社会的文脈を説明しておこう。吉田(2020)が指摘するように、この30年にわたり日本の大学教育改革は「政策主導と政策誘導の2つの方法によって、大学の教育に関与するようになった。政策主導とは、大臣の諮問に対する審議会の答申などによる改革の推奨や大学設置基準の改正」であり、「政策誘導とは、教育に関する競争的資金事業」を指し、「この2つによって、文部(科学)省の要請する改革は大学に浸透してきた」(吉田 2000:179)。

それゆえ、第一に、教育方法および教育内容の改革においては「ファカルテイ・ディベロップメント(FD)」「ティーチング・アシスタント」「シラバス」「ポートフォリオ」「ルーブリック」「アクティブ・ラーニング」「自己点検・評価」「キャップ制」「セメスター」「GPA」「3ポリシー」「教学マネジメント」などの概念が導入され、今日では広く人口に膾炙した。こうした制度導入は審議会答申の改革推奨や大学設置基準の改正などの「政策主導」によって強力に進められた。

第二に、「特色GP」「現代GP」「教育GP」「スーパーグローバル大学」「COE」「G-COE」「国際卓越研究大学」「リーディング大学院」等々の「教育に関する競争的資金事業」などの「政策誘導」によって推し進められてきたのだ――これら一連の大学改革に対する批判的検討は佐藤(2019)、苅谷・吉見(2020)ほか参照。また、こうした大学改革下での各大学での社会学教育の変容は日本社会学会社会学教育委員会(2021)に詳しい――。

こうした大学改革では「抜本的な改革が非常に困難であるからこそ、中教審や文科省はそれらの問題を置き去りにした上で、もっぱら見えやすい形での小道具の整備」を大学に促してきた」(佐藤 2020: 85)であり、こうした「小道具主義」によって各大学は翻弄されてきたと言ってよい(佐藤・吉見 2020: 13)。では、なにゆえ日本の大学改革はこうした「小道具主義的大学改革」となってしまったのか。

詳細は割愛するが、1980年代後半以降、世界は新自由主義的なグローバリゼーションの只中で資本主義の仕組み構造転換が進み、その中で大学の位置づけが大きく変容していったことに加え、日本では経済成長期に急速に拡大した大学需要を主として私立大学が吸収していき、更には、1990年代以降は大学が増大・多様化したことなどが背景となって、結果として規制よりも各種補助金による「政策誘導」によって大学教育は進められている(佐藤・吉見 2020: 16)。加えて、国立大学は一連の大学改革に加え、2022年5月に成立した「国際卓越研究大学支援法」の成立などによって大きな組織的変容を余儀なくされている。こうした中で「このままだとお金もコストも減らされるという呪いの言葉を吐かれる」ことなどを通じて「そんな小手先で大学がよくなるわけではないが、社会や大学全体の流れには抗うことはできないため、ここで落としどこを戦略的に見つけるしかない」といった「屈折した感覚」に呪縛されていく。

学会や研究会などでは、いまや多くの研究者/大学教員/大学人がそんな「屈折した感覚」を口にする。「自分は馬鹿じゃないから正しいことはわかっていると言うくせに、それは支配者には絶対に理解してもらえないと諦めている。それで、自発的に支配に服従し、抗おうとする人たちを説得にかかろうとする」(隠岐・石原 2022: 17)のだ。

文科省などの一連の政策を痛烈に批判しながら、それに乗っかって大学改革を進める法人をなかば小馬鹿にしながらも、恥ずかしげもなく大学内・学部内で「落としどころ」を探っていく研究者。一連の大学改革がさほどの効果もなく、徒労に終わるものであると知悉しながら、各種補助金の書類書きに精を出さざるを得ない大学教員。大学間や大学内や学部内の位置取りのために、補助金が採択されそうな耳障りのよい言葉を並べ、誰でも理解可能な空虚なプレゼンテーションの準備をせざるを得ない大学人。これらの日本の大学教育における「小道具主義」を厳しく批判しながらも、そんな「小道具主義」ではどうにもながらないと開き直って大学改革を先送りする教育者。

今日の大学に問われているのはそんな閉塞感をいかに思考し、突破するかである。


苅谷剛彦・吉見俊哉.2020.『大学はもう死んでいる?――トップユニバーシティーからの問題提起』集英社新書.

日本社会学会社会学教育委員会.2021.『社会学教育実態調査報告書――大学改革下の社会学教育』

隠岐さや香・石原俊.2022.「研究と教育の行方を問う」『現代思想』(特集:大学は誰のものか)50巻第12号:8-23.

佐藤郁哉.2019.『大学改革の迷走』ちくま新書.

佐藤郁也・吉見俊哉.2020.「知が越境し、交流し続けるために――大学から始める学び方改革・遊び方改革・働き方改革」『現代思想』(特集:コロナ時代の大学)48巻第14号:8-20.

吉田文.2020.「「大学「教育」は改善したのか――30年間の軌跡」『教育学研究』87巻2 号:178-189.

この記事を書いた人
天田 城介
Josuke Amada

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