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記事2023.03.25

祝辞 卒業生のみなさんへ(首藤明和)


祝辞 卒業生のみなさんへ


沖縄県久高島ウガン浜より斎場御嶽を望む(2023年3月16日 著者撮影)


 本日、晴れてご卒業を迎えられ、旅立ってゆかれるみなさんの門出をお祝いし、ささやかながら、しかしちょっと長い、はなむけの言葉をお贈りしたいと思います。

 ですが、社交辞令は一切なしで、わたし自身の言葉で、こころからのお祝いの気持ちを述べたいと思います。

 ここにおられるみなさんは、社会学を学んで学位を修められました。そこで、みなさんに敬意を表して、いまこれからお話しようとしていることが、社会学的にどのような意味をもつのかについても、あらかじめご説明しましょう。

 思い出してみましょう。社会学専攻の授業で先生方がみなさんへ繰り返しお話されたこと。それは、ひとつに、自らの問題意識を明確にし、自分自身の問いを立てること、そして考えるための理論(理屈)やモデル(見方)を学び、かつ現実を観察してデータを生成するなかで、理論やモデルとデータの対話をおこない、自らが立てた問いにたいする答えを探求することでした。

 みなさんは、大学での学びを通して、どのような問いを立てられたのでしょうか。そしてその問いは、大学をご卒業後も、みなさんの人生を、どのように豊かにしてくれるのでしょうか。

 このことをみなさんと一緒に考えてみるために、ひとつの例として、わたし自身がいかなる経験を通して、どのような問いを立てたのか、そしてその問いとの格闘は、今日のこの日に至るまで、どのようにわたしのなかで続いてきたのかをお話しようと思います。

 ここで少々内面的なお話をしますが、これは社会学的にどのような意味をもつのでしょうか。みなさんは、このこともたくさん学ばれてきました。たとえば、理解社会学、宗教社会学、臨床社会学あるいは現象学的社会学など、いろいろありましたね。

 たとえばマックス・ウェーバーの理解社会学では、人がなにか主観的な意味をいだきながら、自分の外にある人やものごとへ、あるいは内部の意識に向って行う行動は、非常にさまざまな大きさや質的な特徴をともなう、明らかに他とは異なる性質を含み込むこんでいることから、わたしたちはそうした行為を理解し説明することが可能であると説きます。そして、たとえば行為の動機に着目して、動機の組み合わせとともに、行為の条件や状況、プロセス、結果といった諸関係を因果帰属的に検証できれば、いわゆるカリスマといった普通ではない「異常なもの」や、感情といった「非合理的なもの」も、むしろ十分に、質的に他とは異なる何らかの〈明らかさ〉を有しているわけですから、理解し説明することの妨げにはならないと言います。

 社会学の話は、ちょっと、やめましょう!

 卒業式のこの日を迎えても、結局どうしても社会学が好きになれなかった方々へ。

 大丈夫です、不安に思わないでください。

 いまここでは、次のようにお考えください。わたしをひとつの鏡だと思ってください。鏡はみなさんご自身が覗き込んでみてこそ、初めて意味を持ちます。覗き込まなければ、なにも起こりません。だから、このお話をさせていただくあいだだけ、みなさんは関心をもって、この鏡を覗き込んでみてください。そして皆さんご自身の姿がどのように映し出されるか、ご自身でご確認いただければ幸いです。

 お話は、わたしが大学1年生のときに遡ります。当時の一般教養の授業のなかで一番印象に残っているのは国文学の授業です。ご担当された先生のお名前は片岡先生でした。清少納言の枕草子を読んでいました。

 枕草子の冒頭は、あの「春はあけぼの」ですね。

 「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」。ご存知のように枕草子には、一つの主題で、おもしろいもの、風情のあるものを並べ立てる「づくしもの」と呼ばれる文章があります。たとえば「森は」という段では、21の森の名前を挙げています。このなかに「信太の森」も挙げられていますが、この信太の森はその後、人と狐の婚姻を描く昔話「狐女房」、あるいは陰陽師・安倍晴明の誕生譚としても知られる「葛の葉伝説」の舞台にもなりました。わたしが大学の教員になってからの10年ほど、毎年学生を連れて、この信太の森をフィールドワークしたことも、いまはむかしです。

 さてこの国文学の授業、土曜の1限目ということもあり、新学期のはじめは教室を埋め尽くしていた200名ほどの学生たちも、12月になると4、5名という有様でした。片岡先生は「学生の数に関係なく、授業は同じように情熱を込めてするもんだと、わたしの師匠は教えてくださいました」とおっしゃって、5名ほどの学生にたいしても毅然とした態度で、とても熱心に講義をしてくださいました。わたしはそうした片岡先生を尊敬しておりました。

 1990年12月15日土曜日、わたしは寝坊をしてしまいました。「授業に遅れる。おれが行かなければ教室にだれもいないかもしれない。片岡先生を悲しませてはいけない!」。

 わたしはバイクに飛び乗って公道を突っ走りました。

 大学へ向かう道に、中央環状線という片側3車線の大きな幹線道路がありました。わたしは交差点で先頭に躍り出て、信号が青になると、フルスロットルで加速しました。

 時速130キロ。その瞬間、何かのくぼみにハンドルを取られ、空中に放り出されました。バイクはわたしの前を、縦にぐるぐる回転しながら、わたしよりも速く、前に前に飛んでいきます。わたしは「バイクが壊れる」と思いながら、アスファルトの上を滑りつづけました。真冬でしたので、クシタニのライダージャケットに、ショウエイのフルフェイスのヘルメットをしっかり装着していました。フェイスガードやライダージャケットがわたしを守ってくれたといえます。ただ、あまりにも道路を滑り続けるので、わたしは右手をついて止まろうとしました。その瞬間、右手の甲がまっぷたつに割れてしまいました。

 当時、わたしの父は、仕事のストレスもあって重い病気にかかっており、また祖母の具合が悪かったこともあって、とても気が立っておりました。そもそも「お前のお父さんは寝るときも、ネクタイ2本しめてるんちゃうか」と友人にいわれるほど、父は堅物な性格で、幼少の頃からふつうに会話ができた記憶がありません。そんな折に、わたしがずいぶん間抜けなことをしでかしたものですから、なおさら機嫌がよいわけありません。

 年の瀬のクリスマス前だったと思うのですが、食事の際、唐突に父が「お前のその怪我は、治らないと就職もできなくなる。どういうつもりだ、この不景気なご時世に」と言いました。わたしは、なぜか腹を立てて、そのまま家を出てしまいました。兄もどこかに消えていきました。

 年末、友人宅を泊りまわり、そして親戚のおじさん・おばさんのところに転がり込みました。驚いたことに母も家出していて、おじさん・おばさん宅で思いがけずも合流しました。

母は正月もなにもあったものでなく、三日三晩、眠りっぱなしでした。水も飲まず、一度も起き上がってきません。とても疲れていたのだと思います。ところが当時のわたしは、こうした母の姿をみて、「怠けていて、いつもひとに迷惑をかけている、だらしがない。母がこのような人だから、おれはいつも苦労するんだ」と思ったのです。そして、死んだように眠っている母を起こそうとしました。

 そのとき親戚のおばさんから、「おかあさんを寝かせてあげなさい」と言われました。おばさんは、わたしの性格を心配しました。同時に、わたしが変わることで、母が救われることもわかっていたのだと思います。

 ここからがちょっと不思議な話になります。

 そして、わたしのフィールドワークの原体験でもあります。

 みなさんもご自身でフィールドワークをしたり、質問紙調査をしたりして、事実の観察からいろいろなデータを作成しましたね。そこでみなさんが見た事実や、その背後にある目に見えない構造や意識などは、どんな本にも載っていないような意外な出来事に溢れていたのではないでしょうか。まさしく社会学の醍醐味です。

 冒頭の理解社会学のお話でも触れましたように、わたしたちは、異常だとか非合理的だとか思われる出来事も、理解し説明する力をもっています。

 お話の続きをお聞きください。

 おばさんの勧めで、わたしはいやいやながら、奈良と大阪の県境の生駒山地の麓にある石切り神社の参道で、占いをしていただくことになりました。お世話になっている以上、断れなかったのです。事前の準備として、名前・生年月日に加えて、家相(手相とか人相とかがあるように、家相では住んでいる家の間取りから占いをします)を持ってくるように言われました。母と一緒に実家の間取りを思い出しながら、ノートに描きました。

 石切神社では、お百度参りが有名です。神様にお願いを聞いてもらうために、神社で100回お参りをする風習です。何度もお参りの回数を重ねることで願いが成就するといわれています。もちろん、いろいろな事情で、お願いが成就するまでに100日間も待てないという場合もあります。そうした人のために、次第に100日間通うか、あるいはその日に100回お百度石のあいだを往復するか、選べるようになっていったといいます。このお百度参りの歴史は古く、歴史書「吾妻鏡」には、鎌倉時代初期の1189年の記録が残っています。わたしは石切神社で、深刻な悩みを抱えながら、熱心にお百度参りをしているたくさんの人びとを目の当たりにして、複雑な思いをいたしました。

 石切神社の参道には、たくさんの占い小屋が立っていました。どれもこれも間口が狭く、薄暗い、かび臭い掘っ建て小屋に見えました。日常とは異なる異様な光景が、当時の参道には残っていました。おばさんの行きつけの占い小屋に入ると、そこには無造作に机がチョコンと置いてあり、おじいさんが座っていました。傍らには、おばあさんが立っていました。

 母とわたしは、事前に準備した、家の間取りを描いたノートとともに、家族全員の氏名と生年月日が書かれた紙を、おじいさんに差し出しました。

 おじいさんは家相を一瞥すると、「〇月△日にトイレの工事をしたな。そしてあんたは部屋のここで毎晩寝ておるな。トイレの神様が怒ってな、ここで寝ているものに祟るんや。水や電気の流れは、生きものと同じでな、エネルギーが宿るんや。あんたは今年、弱い運勢の年や。そんなときはな、守ってくださるご先祖様も弱ってな、わるい力に勝てんのや」と言いました。

 おじいさんは、おもむろに、わたしの右手に巻かれた包帯をほどきはじめ、そしてグローブのようにはれあがったわたしの右手を表裏に何度もひっくり返しながら、手相を見極めようとしました。わたしの手は骨が粉々になっていたものですから、その痛さで何度も悲鳴をあげて飛び上がったのですが、手相に神経を集中したおじいさんの耳には、まったく届きません。

 「ああ、あんたは昨年の12月に死んでたな。今、こうして生きておる。何かの御縁じゃろ。生かされているんだから感謝せなならん。生かされてることへの感謝じゃ。」

 このおじいさんは兵庫県の相生のひとで、小学校を出ると師匠について占いを勉強したのだそうです。あの今太閤の、たたき上げで総理大臣にまで登りつめた田中角栄氏の大ファンで、角栄さんが病いで倒れたときには目白御殿に連日通い、お目通しを願ったのだそうです。曰く「角さんとこの、台所のガス管の工事があかんかったんや。わしがいけば角さんの病気を治せたのに、娘の真紀子が、そんな馬の骨が、おとうちゃんの病気を治せるはずがないって、取り合ってくれんかったんや」と悔しがっていました。

 わたしは、この占い小屋のなかで、見たことも聞いたこともない世界に触れて、口をあんぐり、目をぱちくりさせるばかりでしたが、どこかで、わたし自身が、自分の慣れ親しんだ世界を相対化してゆくような、そして自分の知らない世界が確かに存在するのかもしれないということを、感じ始めたのでした。おばあさんが、おじいさんの言っていることをかいつまんで、やさしく説明しなおしてくださったことも鮮明に覚えています。「おかあさんに優しくしてあげなさい。腹を立てる前に、おかあさんをほめてあげなさい」と、何度も繰り返し言われました。

 わたしはフィールドワークを通じて、出会った方々から、たくさんのことを教えていただき、かけがえのない、生きる上での知恵を学び始めました。

 みなさんもそうした経験をされたことと思います。

 その後、「生かされている自分」、すなわち「他力本願」ということが、わたし自身の問いになりました。

機縁とはなにか。一念発起、すなわち、それまでの考えを改めて熱心になり、唱名すなわちお経を唱えさえすれば自ずと救われるということは、いったい何ごとか。「一切衆生悉有仏性、善人猶もて往生す況や悪人おや」。この悪人正機説とは何ぞや。

 こうして、大学で立てた自らの問いは、ずいぶんと偶然の産物だったように思えます。その一方で、自分自身ののっぴきならぬ生活や、生まれながらの性格に密接に関係した問いだったようにも思えます。

 当時わたしは、自力での救済にしか関心をもたない、ひとりの若者でしたから、この「他力本願」は、とても骨の折れる問いでした。

 大学2年生のとき、「宗教社会学」の授業を受講しました。わたしは授業のなかで、先生に対して、お経は梵語を漢語訳したものを音読みしていているだけで意味が通じない、日本語に翻訳してお経を読むべきである、そうでなければ、日本の仏教界はお経を、人びとを支配する道具として使っているに過ぎないと言いました。先生はたいそうご立腹されて、「きみはなにを根拠に、そんなことをいうのか」と問いつめられました。わたしは先生の剣幕に押されて、吉本隆明氏の書いた『信の構造』という本にそう書いてあったと答えると、吉本隆明を読んでいるのかといって先生は黙りました。そのときわたしは、自分の考えを自分の言葉で説明できず、吉本隆明の名前を持ち出してごまかしたことを情けなく思いました。どんな言葉でもいい。自分で観察し、考え、記述すること、そして選択し、決定することの大切さを思いました。また、権威や権力に対する反抗心を、メラメラと燃やし続けるきっかけにもなりました。

 みなさんはどうですか。小中高大と続いた長い学校生活のなかで、授業を通じて、先生や同級生との交流を通じて、何を考えましたか。

 そんなものは何もありゃしない! そうですね! それはそれで興味深いことです。そこにはきっとなにか理由があることでしょう。あなたがどういう人かを知るための大切な理由があるはずです。

 結局わたしは、他力本願とは何か、大学在学中、ほとんど考えをまとめることができませんでした。だから、かえってこの問いは、今に至るまで問い続けることにもなりました。

 30歳で大学に就職後、36歳のとき、とある学会のシンポジウムで講演をすることになりました。その準備の一環として、作家・五木寛之氏の『宗教都市大阪・前衛都市京都』を読みました。太閤秀吉が長く続いた戦乱の世を統一後、いくさで荒廃した大坂の町を復興するため、近江の豊かな商人たちを大坂に住まわせました。かれらは、信仰する浄土真宗のお寺やお堂を建てました。御堂筋とは、北のお御堂と難波御堂を結ぶ通りのことです。現在もなお健在で、長さ4.2キロメートルの道路は、大阪のメインストリートになっています。五木は、御堂筋とは、日本の都市のなかでも、信仰にちなんだ名前が付された唯一のメインストリートだと言います。大阪は経済や商売の町ではなく、むしろ商人たちが、信仰と信頼に基づいて商売に打ち込んだ、宗教都市としての歴史や文化をもっていると主張します。

 そしてわたしがこの読書のなかで偶然に出会い、瞠目させられたのは、阿弥陀の本願に関する五木の説法でした。

 阿弥陀の本願(阿弥陀仏の真の願い)、つまり他力本願とは何か。五木は次のように説明します。

 たいへん重い荷物を担ぎ、町から町へと行商する商人(あきんど)をイメージしてください。あいにく日も暮れかかり、商人はその日の宿を急いで探さなければなりません。折悪く、ちょうど村と村のあいだの峠に差し掛かったところで、日はとっぷりと暮れてしまいました。人がひとり、やっと通ることのできる山道です。一歩足を踏み外すと、崖下の谷底に落ちてしまいます。聞こえてくるのは、自分の荒い息遣いばかりで、ときおり山に住む獣や鳥たちの鳴き声が聞こえてきます。背に担いだ荷物は、お店とお客様の信頼を一身に受けて預かったものです。責任の重さが荷物の重さとあいまって、なおさらズシリと、商人の背に食い込みます。一日の疲労が行く先のしれない不安とともに押し寄せてきます。

 そのときです。むこう山の麓から、そう、あの〈ポツンと一軒家〉ですね、人家の明かりが目に飛び込んできました。「あそこにたどり着けば、今夜の宿をお借りできる」。そう思うと、商人は途端に元気が出て、背負った荷の重さも忘れて、力強く足を運び始めたのです。

 ここで、五木はいいます。あのポツンとともった明かりこそが、弥陀の本願に他ならないのだと。そして、力強く勇気と希望をもって歩んだのは、商人自身に沸き起こった力にほかならないと。つまり弥陀の本願は、すべての人間がもっている、その人自身の力を引き出したに過ぎない。そうした機縁(きっかけ)をわたしたちの前に、明かりという具体的な姿を伴って現わしたに過ぎない。これこそが、弥陀の体現する他力本願だというのです。

 わたしはこの見事な説法に息を呑みました。他力は自力を呼び覚ますきっかけであり、それを「機縁」(御縁)として言い表すことに納得しました。学生時代に立てた問いは、ここで解決をみたように思いました。そしてしばらく、この問い自体を忘れておりました。

 2000年4月、わたしはこの中央大学文学部に着任しました。コロナ禍のなか、身近な人を亡くしたこともあり、わたしもやはり重苦しい毎日を過ごしていたように思います。

 そんななか、14、5年ほどが経って再び頭をもたげてきたのは、解決したはずの問い、すなわち、あの他力本願のことでした。中央大学に来てから本格的に勉強を始めた、現象学的哲学や現象学的な社会構成主義の議論は、他力本願への見方をさらに推し広げてくれました。

 たとえば現象学的社会学とは何か。たとえばそこで時間をどう説明するか。

 じつはこんな話も、授業のなかで皆さんにお話してきました。当然、先の国文学の片岡先生のように、受講生の数は、目に見えて減っていきましたが。

 物理学でいう客観的な時間は、今現在とは何かを指し示すことができません。なぜならば、それを指し示そうとする時、現時点は絶えず過去となってしまうからです。しかし社会的世界、つまり社会学が対象とするような、あなたとわたしのあいだの世界では、今現在を指し示すことができます。たとえば、「いつやるの? 今でしょ!」とか「今が幸せです」とか、わたしたちは今現在をめぐって会話をすることができます。今現在とは、客観的に存在するものではなく、むしろ主観的に構成され、かつ、異なる主観のあいだで経験される時間です。つまり、あなたとわたしがそれぞれ主観的に構成した今現在は、不思議なことに、あなたとわたしのあいだで共有できるし、それがどのような意味で拡大された今現在なのか(つまり今とは、この瞬間なのか、今日のことなのか、今週なのか、今年なのか、今世紀かなど)、お互いに理解することもできます。時間というものは、主観的に構成されつつも、あなたの主観とわたしの主観のあいだで、共に経験できるものであることを、現象学的社会学は、私たちに教えてくれています。

 このようなことを授業のなかでも話していた時、ふと思ったのです。

 阿弥陀の本願が灯す他力の明かりとは、五木寛之が言うような、わたしたちの外にある、あの一軒家の灯すような明かりなどではなく、むしろその明かりそのものも、わたしたち自身が灯しているのではないだろうか。自らが、自らの仏性の下に灯した他力の明かりを、わたしたち自身が捉えるなかで、自力を引き出しているのではないだろうか。そのように他力を構成し自力を引き出す力を、わたしたちはみな備えているのではないだろうか。そして、自らが他力と自力の相互作用のなかで灯した明かりは、主観と主観のあいだで共有することができて、自分だけでなく、他者にも力を与えることができるのではないだろうか。

 他力本願の深淵な意味を、自らに宿る他力と自力の相互作用のなかで捉えれば、「一切衆生悉有仏性」(生きとし生けるものすべてに仏は宿る)や、何か機縁(きっかけ)があって「一念発起」することで、すなわち念仏を唱えるようになるだけで、「善人猶もて往生す況や悪人おや」(善人悪人関係なくすべてのひとが互いに幸せになる)こともよく理解できるのではないかと思われたのでした。

 さて、みなさん、わたしのお話を聞きながら、この大学生活のなかで立てられたご自身の問いを振返ってみて、いかがでしたでしょうか? そしてご卒業後に、みなさんの立てた問いは、どのような形で、みなさんの人生を豊かにしてくれるのでしょうか。

 わたし自身、大学生のときに立てた問いは、こうして今に至るまで、自分自身の考え方や感じ方に大きな影響を与えているように思えます。それはみなさんとの交流のなかでも、わたし自身の型や構え、作法として、流れ続けているように思います。

 たとえば、もしかしたら、「わたしは暗闇のなかにいます! わたしのこころには、なにも明かりはありません!」、そうお感じの方もおられるかもしれませんね。

 わたしは、それでいいんじゃないかと思います。むしろ、すごくいいんじゃないかとさえ思います。なぜでしょう。

 暗闇のなかだからこそ、かすかな光源、たった一粒の光子が解き放つ光、僅かに差し込む一筋の光が、あなた自身のこころのなかに、あなたの仏性のなかに、確かにあるということを、あなた自身が気づけるのではないでしょうか。その意味で、たとえば絶望とは、けっして〈終わり〉を意味するわけではないと思います。やはり、すべての始まりだと思います。生きていれば、続けていれば、わたしたちはどんな困難や苦境にあるときも、〈終わり〉に立たされているのではなく、なにか新しい出来事に連なってゆく出発点に立っているということに気づけるのかもしれません。

 また、回りが灯す明かりが、明かるければ明るいほど、まわりがとても素晴らしいものに見えて、自分は取るに足らない、つまらないものに思えたりすることもあります。そんなときは、おそらく自分がどのような明かりを灯しているのか、自分で気づけなくなっているし、そうした自分をみること自体が怖くて、できないかもしれません。

 そんな時は、みなさん! お仕事やお勉強は、積極的にさぼってください! 

 そして好きなことをして時間を過ごしてください!

 何のことはない、わたしの場合は、海をただ眺めること、浜辺や磯で遊び、貝を拾ったり、もとにもどしたり、カニを捕まえたり、逃がしたり、そんなことです。

みなさんもご自身のために、時間というパラメータを投入して、皆さん自身の灯(ともしび)を、お守りください。もう十分に頑張ってきたのだから、そのままでもう十分です。いまここにある、いる、だまっている、引きこもっている、落ち込んでいる、それでもういいんです。よく頑張ったね。そうしたときに、確かに次の何かがもう始まっているのです。

 毎年、100名近くの卒業生が、ソシオロジカルマインドに点った明かりをもって、この中央大学文学部社会学専攻から旅立って行かれます。その意味は、この社会にとって、とてつもなく大きいと思います。

 みなさんは、社会学を学んだことを、ぜひ誇りにして、意気に感じてほしいと思います。そして、あなた自身を、傍らにいる大切な人を、いろいろなところで出会う人を、まだ見知らぬ世界の人びとを、生きとし生けるすべての存在を、あなた自身に点った明かりで、照らし出してほしいと思います。

 みなさんの、これからのたくさんのたくさんの幸せと、ますますのご活躍を、社会学専攻の教員・室員一同、こころよりお祈りしております。

 本日はご卒業まことにおめでとうございます。

2023年3月25日

社会学専攻 首藤明和

この記事を書いた人
首藤 明和
Toshikazu Shuto

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